リチャード・ハーシュフェルド・ウィリアムズ(Richard Hirschfeld "Dick" Williams, 1929年5月7日 - 2011年7月7日)は、アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・監督。右投右打。
1970年初めに「マスターシュ・ギャング」と呼ばれたオークランド・アスレチックスを率い、1971年にアメリカンリーグ西地区優勝、72年、73年にはワールドシリーズ連覇を成し遂げた(アスレチックスはアルビン・ダークに監督が代わった74年もシリーズを制し3連覇)。
経歴
選手時代
カリフォルニア州のパサデナで少年期を過ごした後、1947年にブルックリンとプロ選手契約を結び、1951年にデビュー。当初は外野手だったのだが、ダイビングキャッチを試みた際に肩を負傷し、以後一塁や三塁のポジションを守ることが多くなった。選手としての実働は13年で1023試合に出場、通算打率.260という成績を残している。
コーチ・監督時代
1964年レッドソックス在籍中に、ウィリアムズはロースターから外されAAAのシアトル・レイニアーズのコーチとなり、翌年からAAAのトロント・メープルリーフス(同名のアイスホッケーチームとは別組織)の監督を2年間務める。マイナーでの成果が認められ1967年にレッドソックスの監督に就任、チームは接戦のペナントレースを制し、ウイリアムズはレッドソックスに1946年以来のリーグ優勝をもたらした。
その後1970年にモントリオール・エクスポズのコーチを経て、1971年から指揮をとったオークランド・アスレチックスではワールドシリーズを2連覇する。この頃のアスレチックスは当時「マスターシュ・ギャング」と呼ばれ、オーナーの指令で主力選手達がみな髪を伸ばし髭を生やしていたことでも有名で、ウイリアムズ自身も髭を伸ばしていた。その後エンゼルス、エクスポズの監督を経て、1984年にはサンディエゴ・パドレスをリーグ制覇に導いている。1984年のワールドシリーズでは、スパーキー・アンダーソン率いるタイガースと対戦。どちらが勝っても史上初の「両リーグでのワールドシリーズ優勝監督」となるシリーズだったが、シリーズを制したのはアンダーソンだった。1986年から3年間シアトル・マリナーズの監督をつとめた後引退。
球界引退後
2008年にアメリカ野球殿堂顕彰者に選出。2011年7月7日、大動脈瘤のため死去。82歳没。
詳細情報
年度別打撃成績
- 「-」は記録なし。
- 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す。
- 1955年は試合出場なし。
年度別監督成績
記録
- ワールドシリーズ出場:1回 (1953年)
脚注
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 W
外部リンク
- Baseballhalloffame.org(英語)– アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Retrosheet