エリス・レナ・バークス(Ellis Rena Burks, 1964年9月11日 - )は、アメリカ合衆国ミシシッピ州ヴィックスバーグ出身の元プロ野球選手(外野手、指名打者)。
NPBのオリックス・ブルーウェーブでもプレイしたルーズベルト・ブラウンとは従兄弟にあたる。
経歴
レッドソックス時代
1983年1月のMLBドラフトでボストン・レッドソックスから1巡目(全体20位)に指名を受け入団。1987年4月30日のシアトル・マリナーズ戦でメジャーデビュー。「1番・中堅手」のレギュラーに定着し、6月10日のボルチモア・オリオールズ戦で満塁本塁打を含む2本塁打・7打点を記録。打率.272・20本塁打・59打点・27盗塁の好成績を残したが、ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では票を獲得できなかった。1988年は打率.294・18本塁打・92打点・25盗塁を記録し、チームの地区優勝に貢献。オークランド・アスレティックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.235と振るわず、チームは4連敗で敗退した。1989年は故障の影響で97試合の出場に留まるものの打率.303・21盗塁を記録。1990年はオールスターゲームに初選出される。打率.296・21本塁打・89打点を記録し、チームは2年ぶりの地区優勝。アスレティックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは本塁打・打点共に0。チームは4試合続けて1点しか奪えず、またも4連敗で敗退した。オフにシルバースラッガー賞、キャリア唯一のゴールドグラブ賞を受賞。1991年は打率.251・14本塁打と平凡な成績に終わる。1992年は故障で6月24日を最後に離脱して66試合の出場に留まり、オフにフリーエージェントとなった。
ホワイトソックス時代
1993年1月4日にシカゴ・ホワイトソックスと契約。同年は右翼手として大きな故障もなくプレイして打率.275・17本塁打を記録し、チームは10年ぶりの地区優勝を果たす。トロント・ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第5戦で本塁打を放つなど打率.304を記録するが、チームは2勝4敗で敗退した。オフに再びフリーエージェントとなり、11月30日に創設間もないコロラド・ロッキーズと契約。
ロッキーズ時代
1994年は4月に打率.413・9本塁打を記録し、プレイヤー・オブ・ザ・マンスを受賞するなど好調な滑り出しだったが、故障で5月中旬に離脱。7月末に復帰したが、間もなく1994年から1995年のMLBストライキに突入。そのままシーズンが打ち切られたため42試合の出場に終わった。新球場クアーズ・フィールドが開場した1995年は打率.266・14本塁打と平凡な数字だったが、チームはワイルドカードを獲得し、球団創設3年目にしてポストシーズン進出。アトランタ・ブレーブスとのディビジョンシリーズでは第1戦で2打点を挙げるなど活躍するが、チームは1勝3敗で敗退した。1996年は前半戦で打率.341・22本塁打・72打点を記録し、6年ぶりにオールスターゲームに選出される。9月17日のロサンゼルス・ドジャース戦で、チームが野茂英雄にノーヒットノーランを喫した際に最後の打者となった。リーグ2位の打率.344・40本塁打・128打点・211安打・32盗塁、いずれもリーグトップの142得点・長打率.639・392塁打を記録。チームメイトのダンテ・ビシェットと共に「30-30」(30本塁打30盗塁)を達成し、MVPの投票で3位に入った。1997年は5月中旬まで打率が.200前後と低調で、6月末から故障で1ヶ月離脱。復帰後は調子を上げ、打率.290・32本塁打を記録した。1998年7月31日に3選手との交換トレードでサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。
ジャイアンツ時代
移籍後は打率.306を記録。チームはワイルドカード争いでシカゴ・カブスと同率で並んだが、ワイルドカード決定戦で敗れポストシーズン進出を逃した。1999年は6月29日の古巣ロッキーズ戦で2本塁打7打点。120試合の出場ながら31本塁打・96打点を記録した。新球場パシフィック・ベル・パークが開場した2000年は故障がちだったが開幕から好調を維持し、前半戦で打率.363を記録。規定打席不足ながら打率.344・24本塁打・96打点の好成績でチームの地区優勝に貢献。ニューヨーク・メッツとのディビジョンシリーズでは第1戦でマイク・ハンプトンから本塁打を放ち勝利するがその後は振るわず、チームも1勝3敗で敗退した。オフにフリーエージェントとなり、11月19日にクリーブランド・インディアンスと契約。
インディアンス時代
2001年は6月19日のミネソタ・ツインズ戦でキャリア初の1試合3本塁打を放つなど前半戦で21本塁打。後半戦はやや調子を落としたものの打率.280・28本塁打・74打点を記録し、チームは2年ぶりの地区優勝。マリナーズとのディビジョンシリーズでは第1戦で本塁打を放つなど打率.316を記録するが、チームは2勝3敗で敗退した。2002年は後半戦で打率.339と調子を上げ、打率.301・32本塁打・91打点の好成績で最優秀指名打者賞を受賞した。2003年は6月7日を最後に離脱して55試合の出場に留まり、オフにフリーエージェントとなった。
以後
2004年2月6日に古巣レッドソックスと契約。11試合の出場で打率.182・1本塁打に終わる。チームはワイルドカードから18年ぶりのリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズでセントルイス・カージナルスを下して86年ぶりのワールドチャンピオンとなったが、ポストシーズンのロースター入りはできなかった。同年限りで現役引退。
2005年にインディアンスのGM補佐に就任した。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 各年度の太字はリーグ最高
- 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞
表彰
- シルバースラッガー賞(外野手部門):2回(1990年、1996年)
- ゴールドグラブ賞(外野手部門):1回(1990年)
- 最優秀指名打者賞:1回(2002年)
- 月間MVP:1回(1994年4月)
記録
- MLBオールスターゲーム選出:2回(1990年、1996年)
背番号
- 12(1987年 - 1992年)
- 26(1993年 - 1998年途中)
- 23(1998年途中 - 2003年)
- 25(2004年)
脚注
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)