ジェイミー・モイヤーJamie Moyer, 1962年11月18日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州バックス郡セラーズビル出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。

30代半ば頃から本格的に開花した遅咲きの投手で、後述のように多くの年長記録などに名を連ねている。

経歴

プロ入り前

ペンシルベニア州フィラデルフィア郊外のセラーズビルの出身。フィラデルフィア・フィリーズのファンとして育った。1980年にフィリーズがワールドシリーズ初優勝に輝いた時には、高校を抜け出してパレードに参加していたというエピソードもある。フィラデルフィアにあるセント・ジョセフ大学に進むとエースとして活躍、同大学で唯一の永久欠番に指定されている。

プロ入り後

1984年のMLBドラフトでシカゴ・カブスから6巡目(全体135位)指名され入団。1986年6月16日のフィリーズ戦でメジャーデビューを果たし、8月16日のモントリオール・エクスポズ戦でメジャー初完封を記録した。

1988年12月5日にトレードでテキサス・レンジャーズへ移籍したが、1990年11月13日に解雇され、1991年1月9日にセントルイス・カージナルスへ移籍。シーズン終了後の10月14日に解雇される。

1992年1月8日に古巣のカブスと契約。3月30日に左肘を故障していたモイヤーに球団のファーム・ディレクターから「君だったら優秀なコーチになれる。選手を引退してマイナーの投手コーチをやらないか?」と打診されたが拒否したために解雇された。

開幕後の5月24日にデトロイト・タイガースと契約したが、メジャーでプレイできずにシーズンを終え、12月14日にボルチモア・オリオールズへ移籍し、ゆっくりと才能を開花させていった。

1996年は開幕をボストン・レッドソックスで迎え、7月30日にダレン・ブラッグとのトレードでシアトル・マリナーズへ移籍。その後、安定した成績を収めるようになった。1997年に自己最多の17勝を記録し、チームは地区優勝を果たし、モイヤーは初のプレーオフを経験。1998年8月27日のクリーブランド・インディアンス戦で、通算100勝と通算1000奪三振を同時に達成した。

2001年には38歳にして自身初の20勝、2003年には40歳で21勝を記録した。2005年6月8日に通算200勝を達成。マリナーズでは11シーズンで145勝を挙げた。これは球団最多記録である。

2005年7月末にヒューストン・アストロズへのトレード話が持ち上がった際は拒否したが、2006年8月19日に若返りを図るマリナーズのチーム方針と、当時ワイルドカードを争っていたフィリーズとの思惑が一致し、トレードで移籍。フィリーズでは5勝を挙げ、球団最年長勝利投手となった。10月26日に球団は2008年までの2年総額1050万ドルの契約を結んだ。

2007年は44歳と高齢にもかかわらず、チームで唯一年間を通して先発ローテーションを守り、33先発で14勝を記録し健在ぶりを示したが、一方で防御率は5.01とやや精彩を欠いた。

2008年は45歳を迎えたが、16勝7敗、防御率3.71という堂々たる成績を残した。特に勝ち星、勝率はチームトップであり、フィリーズの地区優勝に大きく貢献した。45歳以上でのシーズン2桁勝利投手は、ジャック・クイン(1929年)、サチェル・ペイジ(1952年)、フィル・ニークロ(1984年 - 1986年)に次ぎ史上4人目(6度目)であり、16勝は1984年、1985年のフィル・ニークロに並ぶトップタイである。またこの年の5月26日のロッキーズ戦で通算235勝目を挙げ、史上6人目となる全30球団から勝利を記録している。

2009年も先発ローテーションの一角としてシーズンを迎える。オールスター以後は先発から外され中継ぎでの登板したこともあったが、それでもたびたび好投を見せてチーム最多タイとなる12勝を記録し、存在感を示した。

2010年5月7日のブレーブス戦では、9回2安打無四球5奪三振で完封するなど、依然衰えぬ投球でMLB最年長完封記録を更新している。

同年のMLBドラフトで、内野手である息子ディロン・モイヤーがミネソタ・ツインズから22巡目(全体675位)で指名された。

2010年シーズン終了後、契約が切れ、フィリーズの40人ロースターから外れた。その後、ウィンターリーグに参加するが、そこで左肘に選手生命に関わる怪我を負う。12月1日に左肘のトミー・ジョン手術を行った。手術後、モイヤー財団の公式フェイスブック上で、「スーパーマンはカムバックする」とコメントを残した。

2011年は手術のリハビリのためプレーせず。

2012年に復帰してコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結び、スプリングキャンプの招待選手を経て、開幕先発ローテーション入りを果たした。 その後、4月17日にパドレス戦において勝利し、MLB最年長勝利記録を更新(49歳151日)した。 しかし、6月1日に自由契約となり、6月6日にオリオールズとマイナー契約を結んだが、3Aで3試合登板後にメジャー昇格とならなかったため6月23日に本人の意向で契約解除となった。6月25日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ。7月5日に自由契約となった。

2013年9月7日、モイヤーは往年の名ナックルボーラーであるチャーリー・ハフとティム・ウェイクフィールドにナックルボーラーとして復帰が可能かを相談していたことが報道された。しかし、10月2日のラジオインタビューにて、「私はやり遂げた。もう復帰することはないと思う」と事実上の現役引退を表明した。

その後、2014年よりマット・ステアーズと共にフィリーズの球団専属解説者を務めている。

選手としての特徴

フォーシームでも130km/h程度で、主に使用する球種はシンカー(約120km/h)やチェンジアップ(約114km/h)、100km/hを下回るカーブなど多彩で、それらを抜群の制球力と緩急で操る。

慈善事業家として

慈善事業家として知られている。ジェイミー・モイヤー財団を夫人のカレンと運営しており、医療関連施設を中心にサポートを行っている。また、オフにはチャリティーでボウリング・トーナメントを主催している。これらの活動が評価され、2003年にロベルト・クレメンテ賞を受賞した。2006年にはマリナーズ時代に6シーズンを共にしたイチローも同財団主催のチャリティーイベントに協力している。

詳細情報

年度別投手成績

  • 各年度の太字はリーグ最高、通算成績の赤太字はMLB歴代最高

年度別守備成績

表彰

  • ハッチ賞:1回(2003年)
  • ロベルト・クレメンテ賞:1回(2003年)
  • ルー・ゲーリッグ賞:1回(2003年)
  • ブランチ・リッキー賞:1回(2004年)

記録

  • MLBオールスターゲーム選出:1回(2003年)
  • MLB最年長勝利記録(49歳151日)
  • MLB史上3番目の高齢プレイヤー(サチェル・ペイジ、ジャック・クインに次ぐ)
  • MLB史上2番目の高齢ポストシーズン先発投手(45歳342日。サチェル・ペイジの46歳に次ぐ)
  • MLB最多被本塁打記録(ギネス世界記録に認定)

背番号

  • 49(1986年 - 1988年)
  • 39(1989年 - 1990年)
  • 41(1991年)
  • 51(1993年 - 1995年)
  • 50(1996年 - 2010年、2012年)

脚注

関連項目

  • メジャーリーグベースボールの選手一覧 M

外部リンク

  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • Jamie Moyer (@jmo50Moyer) - X(旧Twitter)

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