藤原 雄敏(ふじわら の おとし)は、平安時代初期の貴族。藤原京家、従三位・藤原継彦の子。官位は従四位上・兵部大輔。
経歴
天長2年(825年)従五位上、天長5年(828年)正五位下と、淳和朝で順調に昇進し、承和元年(834年)迄に従四位下に至っている。淳和朝では『令義解』編修にも参画した。また、承和元年(834年)淳和上皇の第三皇女・貞子内親王が薨去した際に遣わされて、葬儀の監護を行っている。
仁明朝では、勘解由長官を務めた後、承和5年(838年)従四位上、承和6年(839年)兵部大輔に叙任された。承和13年(846年)仁明天皇が紫宸殿に出御して酒宴が開かれた際、特別に召されて琵琶の演奏を行っている。承和15年(848年)2月4日卒去。最終官位は散位従四位上。
官歴
『六国史』による。
- 時期不詳:従五位下
- 天長2年(825年) 正月13日:従五位上
- 天長5年(828年) 正月7日:正五位下
- 時期不詳:従四位下
- 承和元年(834年) 5月22日:見勘解由長官
- 承和5年(838年) 正月7日:従四位上
- 承和6年(839年) 正月11日:兵部大輔
- 承和15年(848年) 2月4日:卒去(散位従四位上)
脚注
出典
- 森田悌『続日本後紀』(上下巻)講談社学術文庫、2010年