大久保 利和(おおくぼ としなか、1859年8月5日(安政6年7月7日)- 1945年(昭和20年)1月20日)は、日本の実業家、政治家、華族。貴族院侯爵議員。位階・勲等・爵位は正二位勲三等侯爵。通称は彦熊彦之進

経歴

薩摩国鹿児島郡鹿児島城下で、大久保正助(利通)と満寿子夫妻の長男として生まれる。明治4年(1871年)、岩倉使節団に随行して渡米し、普通学研修のためフィラデルフィアの中学校に入学。1874年に帰国して開成学校に入学した。

1878年、19歳の時に父・利通が紀尾井坂の変で暗殺される。同年、父の勲功により華族に列し、1884年7月7日に侯爵を叙爵。1885年、大蔵権少書記官となり、さらに大蔵省主計官を務めた。1890年2月、帝国議会開設に伴い貴族院侯爵議員に就任した。

1878年10月、東京 – 青森間の鉄道建設計画に参加し、また1881年11月に岩倉具視らと日本初の私鉄・日本鉄道を設立。その後、甲武鉄道の副社長、社長を務めた。1894年、沖縄鉄道を出願したが資金難で実現しなかった。

1928年6月5日に隠居し、貴族院侯爵議員の資格を失い、夫婦の間に子が無かった事から、大久保侯爵家の家督は弟の利武が同月15日に相続した。墓所は青山霊園。

栄典

  • 1887年(明治20年)12月26日 - 正五位
  • 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章
  • 1890年(明治23年)6月18日 - 従四位
  • 1893年(明治26年)6月16日 - 正四位
  • 1896年(明治29年)3月29日 - 銀盃一組
  • 1898年(明治31年)6月20日 - 従三位
  • 1903年(明治36年)6月30日 - 正三位
  • 1907年(明治39年)4月1日 - 勲四等旭日小綬章
  • 1911年(明治44年)7月10日 - 従二位
  • 1912年(大正元年)8月1日 - 韓国併合記念章
  • 1914年(大正3年)6月18日 - 勲三等瑞宝章
  • 1920年(大正9年)7月20日 - 正二位
  • 1938年(昭和13年)1月15日 - 御紋付銀盃
  • 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章

親族

  • 父:大久保利通
  • 母:大久保満寿子
  • 弟:牧野伸顕(伯爵)
  • 妻:大久保尚(重野安繹養女、重野安居次女)
    • 養子:大久保利武(実弟、侯爵)

編著

共編『大久保利通文書 第1-10』〈日本史籍協会叢書〉日本史籍協会、1927年。

脚注

参考文献

  • 大久保利泰監修『大久保家秘蔵写真 大久保利通とその一族』国書刊行会、2013年。
  • 鉄道史学会編『鉄道史人物事典』日本経済評論社、2013年。
  • 宮地正人・佐藤能丸・櫻井良樹編『明治時代史大辞典 第一巻』吉川弘文館、2011年。
  • 富田仁編『海を越えた日本人名事典』新訂増補、日外アソシエーツ、2005年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第4版、1915年。

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