小笠原 信之(おがさわら のぶゆき)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将、大名。武蔵本庄藩初代藩主。下総古河藩初代藩主。信嶺系小笠原家初代。
生涯
元亀元年(1570年)、三河国で徳川四天王の一人・酒井忠次の三男として生まれる。少年の頃より徳川家康に仕え、小田原征伐の際には父と共に参戦している。
天正16年(1588年)、伊那小笠原氏の当主・小笠原信嶺の娘を娶ってその養嗣子となり、慶長3年(1598年)、養父の死により家督を継いで本庄藩初代藩主となる(家康の命により養嗣子になったとされる)。徳川秀忠の上杉景勝の討伐に従い、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、信州上田城攻めにも加わっている。この頃、実父忠次の為に円心寺を建立した。十数年の間本庄を領していたが、慶長17年(1612年)になると古河へ加増移封された(これにより本庄藩は廃藩となった)。慶長19年(1614年)に死去。享年45。死後、その家督は長男の政信が継いだ。
系譜
父母
- 酒井忠次(実父)
- 小笠原信嶺(養父)
正室
- 小笠原信嶺の娘
子女
- 小笠原政信(長男)生母は正室
- 小笠原信政(次男)
- 青山幸成正室
- 高木貞勝室
- 水野忠貞正室
参考文献
- 「寛政重修諸家譜 巻第195」
関連項目
- 本庄城