光政村(みつまさそん)は、岡山県上道郡にあった村。現在の岡山市東区の一部にあたる。
地理
砂川と百間川の合流点付近の平坦地に位置していた。
歴史
- 1889年(明治22年)6月1日、町村制の施行により、上道郡光津村、政津村が合併して村制施行し、光政村が発足。旧村名を継承した光津、政津の2大字を編成。
- 1892年(明治25年)水害で大きな被害を受けた。
- 1893年(明治26年)水害で大きな被害を受けた。
- 1934年(昭和9年)水害で大きな被害を受けた。
- 1953年(昭和28年)2月1日、上道郡古都村・西大寺町・可知村・津田村・九蟠村・金田村、邑久郡豊村・太伯村・幸島村・邑久町(一部)と合併し、市制施行し西大寺市を新設して廃止された。
地名の由来
沖新田の干拓を命じた池田光政の偉業を伝える意味を込めて、合併両村名を折衷した。
産業
- 農業
教育
- 1893年(明治26年)大字政津に光政津田両村組合立政田尋常小学校を開校。1911年(明治44年)高等科を設置。
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典 33 岡山県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
関連項目
- 岡山県の廃止市町村一覧