マシュー・ウェイド・ステアーズ(Matthew Wade Stairs , 1968年2月27日 - )は、カナダ連邦ニューブランズウィック州セントジョン出身の元プロ野球選手(外野手)。野球指導者。右投左打。
MLBにおける代打通算本塁打記録保持者(23本)。
経歴
プロ入り前
1988年にカナダ代表の選手としてソウルオリンピックに出場した。
プロ入りとエクスポズ時代
1989年にモントリオール・エクスポズと契約を結んだ。
1992年5月29日のシンシナティ・レッズ戦でメジャーデビュー。
1993年はエクスポズで6試合に出場した。
中日時代
1993年シーズン途中の6月からNPB中日ドラゴンズでプレー。クリーンナップを務めるも1年限りで退団。中日在籍時代は振るわなかったものの、当時の同僚・落合博満は「ステアーズはいずれいいバッターになる」と彼の才能を認めていた。また、ステアーズは逆に、当時の落合や今中慎二などを見て、日本人選手がいずれメジャーで活躍する日が必ず来ると確信を持っていたという。中日時代のある日、雨で試合が中断してしまい、ファンを沸かせようと、泥まみれのベースにヘッドスライディングを決めたこともあった。結局その年限りで中日を退団した。
中日では主に外野手であったが、メジャー・マイナーでこの後も一度も守ることのなかった三塁手を中日では2試合守っている。しかし、守備機会6で3失策するなど(守備率.500)、惨憺たる結果に終わっている。
レッドソックス時代
その後、エクスポス傘下に復帰したが、1994年の開幕前にボストン・レッドソックスにトレードされた。この年はAA級ニューブリテン・レッドソックスでシーズンを終えた。
1995年は、AAA級ポータケット・レッドソックスで一定の成績を残してメジャーに再び昇格する。しかし、シーズン終了後に自由契約となった。
アスレチックス時代
その後、オークランド・アスレチックスと契約し、1996年から頭角を現した。
1999年には、38本塁打、102打点を記録した。
2000年に自由契約となった。
カブス時代
2001年は、シカゴ・カブスと契約を結び、前半戦はフレッド・マグリフが加入するまで正一塁手としてプレーした。オフに自由契約となった。
ブルワーズ時代
2001年オフにミルウォーキー・ブルワーズと契約を結んだ。
2002年は、16本塁打こそ記録したものの、打率は.244と低かった。オフに自由契約となった。
パイレーツ時代
2002年オフにピッツバーグ・パイレーツと契約を結んだ。
2003年は、128試合に一塁手と外野手で出場した。打率は、自己ベストの.292を記録し、本塁打は20本放った。オフに自由契約となった。
ロイヤルズ時代
2003年オフに3年契約でカンザスシティ・ロイヤルズと契約を結んだ。
2005年6月2日のニューヨーク・ヤンキース戦の6回、左翼へ本塁打を放ち、コロラド・ロッキーズなどで活躍したラリー・ウォーカーに続き、カナダ人メジャーリーガー史上2人目となる通算200本塁打を達成した。
2006年は開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のカナダ代表に選出された。
レンジャーズ時代
2006年7月31日にテキサス・レンジャーズへトレードされた。
タイガース時代
2006年9月15日にウェイバー公示を経てデトロイト・タイガースへ移籍した。
ブルージェイズ時代
2006年12月7日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ。
2007年は、第4の外野手として期待されたが、ライル・オーバーベイ、リード・ジョンソンの故障者リスト入りなどで一塁手としての出場が多かった。オフの11月2日に、ブルージェイズと2年契約を結び、契約を延長した。
2008年は開幕時には、左翼手をシャノン・スチュワートとのプラトーンで起用された。その後フランク・トーマスが解雇され、ステアーズが指名打者を専任するようになった。8月28日にDFAとなった。
フィリーズ時代
2008年8月30日にトレードで、フィラデルフィア・フィリーズに移籍した。
ロサンゼルス・ドジャースとのリーグチャンピオンシップシリーズ第4戦ではジョナサン・ブロクストンから代打2点本塁打を放ち、注目を浴びた。
2009年は開幕前の3月に開催された第2回WBCのカナダ代表に選出された。
パドレス時代
2010年1月23日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ。8月21日のブルワーズ戦で通算21本目の代打本塁打を放ち、クリフ・ジョンソンの保持していたメジャー記録を更新。最終的に23本に伸ばした。
ナショナルズ時代
2010年12月14日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ。
2011年は開幕メジャー入りしたが、8月1日に解雇。3日に現役引退を表明した。最後の安打はやはり代打で登場した7月15日の試合で、代打で通算105本目(歴代16位)であった。メジャーでの通算12球団在籍は当時史上1位(2012年、オクタビオ・ドーテルが13で更新)。
引退後
2014年にジェイミー・モイヤーと共にフィリーズの球団専属解説者に就任した。
2015年2月4日にコーリー・コスキー、カルロス・デルガド、フェリペ・アルー、ボブ・エリオットと共にカナダ野球殿堂に選出された。
2016年11月2日にフィリーズの打撃コーチ就任が発表され、1年間務めた。
2017年10月30日にパドレスの打撃コーチ就任が発表され、1年間務めた。
人物
カナダ出身で、カナダのオンタリオ州トロントを本拠地とするトロント・ブルージェイズ、同じくカナダのケベック州モントリオールを本拠地としていたモントリオール・エクスポズ(現・アメリカ合衆国ワシントンD.C.を本拠地とするワシントン・ナショナルズ)の両球団に在籍経験のある人物の一人。他にはショーン・ヒル、ロブ・デューシー、デニス・ブーシェが該当する。
詳細情報
年度別打撃成績
記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:1993年6月15日、対横浜ベイスターズ10回戦(横浜スタジアム)、5番・左翼手として先発出場
- 初安打:1993年6月16日、対横浜ベイスターズ11回戦(横浜スタジアム)、2回表に斎藤隆から
- 初盗塁:同上、2回表に二盗(投手:斎藤隆、捕手:谷繁元信)
- 初打点:1993年6月25日、対横浜ベイスターズ13回戦(ナゴヤ球場)、2回裏に斎藤隆から
- 初本塁打:1993年6月27日、対横浜ベイスターズ15回戦(ナゴヤ球場)、8回裏に永野吉成からソロ
背番号
- 3(1992年)
- 25(1993年 - 同年途中、2006年途中 - 同年終了)
- 7(1993年途中 - 同年終了)
- 35(1995年)
- 12(1996年 - 2000年、2002年 - 2006年途中、2008年途中 - 2009年、2011年途中 - 同年終了)
- 30(2001年)
- 24(2007年 - 2008年途中、2011年 - 同年途中)
- 16(2010年)
- 40(2017年)
- 47(2018年)
代表歴
- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック・カナダ代表
- 2009 ワールド・ベースボール・クラシック・カナダ代表
脚注
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 S
- カナダ出身のメジャーリーグ選手一覧
- 北米・欧州出身の日本プロ野球外国人選手一覧
- 中日ドラゴンズの選手一覧
外部リンク
- 個人年度別成績 マット・ステアーズ - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)