松平大膳家(まつだいらだいぜんけ)は、江戸時代の高松松平家の御厄介(一門)。初代藩主松平頼重の七男頼芳を祖とする。代々の当主は志摩、大膳などの通称を名乗った。頼煕の長男の松平頼桓は、頼煕の後見を受けて4代藩主に就いた。また、頼煕の家督は頼桓の弟である頼珍、次いで頼央が継いだが、この2人は相次いで徳島藩主蜂須賀家に養子入りしている(8代藩主宗鎮・9代藩主至央)。彼ら3人の代で高松藩では頼芳の血筋は絶え(徳島藩では藩主一門の家系として残った)、藩主には水戸家の別の御連枝である守山松平家から松平頼恭が迎えられ、その五男の頼昌が大膳家を継いだ。以後、藩主家・大膳家とも頼恭の血筋で続いた(藩主は幕末には水戸本家から養子を迎えている)。
2002年に、高松市丸の内にある大膳家の中屋敷跡と上屋敷跡で発掘調査が行われた。
歴代当主
- 松平頼芳(よりよし)
- 松平頼煕(よりひろ) ※4代藩主松平頼桓の父
- 松平頼珍(よりよし) - 頼煕の次男 ⇒ 徳島藩主蜂須賀宗鎮
- 松平頼央(よりひさ) - 頼煕の三男 ⇒ 徳島藩主蜂須賀至央
- 松平頼昌(よりあつ) - 5代藩主松平頼恭(守山松平家出身)の五男
- 松平頼格(よりさだ) - 頼恭の七男松平頼裕の息子
- 松平頼覚(よりあき)
- 松平頼利(よりとし)
- 松平頼纉(よりつぐ) - 頼覚の三男
系図
太字は松平大膳家当主、[ ]は水戸藩主の代数、( )は高松藩主の代数、実線は実子、破線は養子および婚姻関係
外部リンク
- 松平大膳家屋敷跡(高松の埋蔵文化財)