根岸 峮太郎(ねぎし きんたろう、1860年10月20日(万延元年9月7日)- 1946年(昭和21年)12月15日)は、明治から昭和前期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、群馬県群馬郡大類村長。

経歴

上野国群馬郡柴崎村(群馬県西群馬郡大類村、群馬郡大類村大字柴崎村を経て現高崎市柴崎町)で、豪農・根岸紋吉、マツの長男として生まれた。小学校を卒業後、貫名正祁に師事し漢学を修めた。1884年(明治17年)7月、家督を相続。農業を営む。

群馬県第22学区学務委員、大類村会議員に就任。1890年(明治23年)8月、群馬県会議員に選出され7期18年在任し、同常置委員、同参事会員も務めた。1905年(明治38年)7月、大類村長に就任。その他、土地収用審査委員、群馬県地方衛生会委員、県森林会議員、同勧業諮問会員、群馬郡徴兵参事会員、大類村農会長、県農会評議員などにも在任した。

1908年(明治41年)5月、第10回衆議院議員総選挙(群馬県郡部、立憲政友会所属)で初当選。以後、第12回総選挙まで2回再選され、衆議院議員に連続3期在任した。この間、立憲政友会群馬支部幹事、同常任幹事などを務めた。1915年(大正4年)大浦事件で検挙され、1916年(大正5年)6月、高松地方裁判所で懲役3か月・執行猶予3年の判決を受け、控訴して同年10月、大阪控訴院で懲役3か月・執行猶予3年の判決を受けた。これにより勲八等及び韓国併合記念章、大礼記念章を褫奪された。1930年(昭和5年)4月、大類村長に再任され、県町村会長も務めた。

実業界では、群馬県農工銀行取締役、鳥川水電副社長、岩鼻鉄道社長などを務めた。

国政選挙歴

  • 第10回衆議院議員総選挙(群馬県郡部、1908年5月、立憲政友会)当選
  • 第11回衆議院議員総選挙(群馬県郡部、1912年5月、立憲政友会)当選
  • 第12回衆議院議員総選挙(群馬県郡部、1915年3月、無所属)当選
  • 第15回衆議院議員総選挙(群馬県第4区、1924年5月、政友本党)落選

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 山中啓一『上毛近世百傑伝 上』山中啓一、1891年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『大日本人物名鑑〔巻4の1〕』ルーブル社出版部、1921年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第15回』衆議院事務局、1926年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 我妻栄編集代表『日本政治裁判史録 大正』第一法規出版、1969年。
  • 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『群馬新百科事典』上毛新聞社、2008年。

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