橘 仲遠(たちばな の なかとお)は、平安時代中期の貴族・学者・歌人。下総守・橘佐臣の子。官位は従四位上・播磨守。
経歴
若くして大学寮に入る。後に蔵人となり藤原忠平の侍読を務めた。
村上朝初頭の天暦元年(947年)に豊前守に任ぜられて現地に赴任。康保2年(965年)ごろ摂津守と受領を歴任した。この間の康保元年(964年)及び康保2年(965年)には『日本書紀』を講じている。その後、播磨守も務め、位階は従四位上に至ったという。
また、『新勅撰和歌集』以下の勅撰和歌集に2首が入る勅撰歌人でもあった。
官歴
- 天暦元年(947年) 8月2日:見豊前守
- 康保2年(965年) 8月13日:見摂津守
- 時期不詳:従四位上。播磨守
系譜
注記のないものは『尊卑分脈』による。
- 父:橘佐臣
- 母:不詳
- 生母不明の子女
- 男子:橘道文
- 男子:橘道紀
- 女子:橘徳子 - 藤原有国室、一条・後一条両天皇の乳母
脚注
参考文献
- 宮崎康充編『国司補任 第四』続群書類従完成会、1990年
- 『尊卑分脈 第四篇』吉川弘文館、1958年
- 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年