林 健造(はやし けんぞう、1943年5月21日 - )は、京都府京都市東山区出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。

来歴

プロ入り前

平安高では2年次の1960年、捕手、右翼手として春夏の甲子園に出場。春の選抜は2回戦で山口富士雄のいた高松商に敗れ、夏の選手権は2回戦で鹿島高の宮崎昭二に完封負け。同年の秋季近畿大会では決勝で浪商の尾崎行雄を打ち崩して優勝し、3年次の1961年春の選抜への出場を決める。選抜では準決勝に進出するが、柴田勲のいた法政二高に敗れる。1年上には後にプロでもチームメイトとなる大崎隆雄、同期には阪本敏三がいる。

プロ入り後

卒業後の1962年に大洋ホエールズへ入団し、内野手に転向。2年目の1963年には第1回ジュニアオールスターに出場し、1965年には一軍に定着。同年は二塁手、三塁手、遊撃手として46試合に先発出場し、その後も俊足で内外野をこなせる準レギュラーとして、地味ながら長く活躍。1966年5月8日の中日戦(川崎)では板東英二からサヨナラ本塁打を放ち、同年は36安打ながら12本塁打をマーク。江夏豊を得意とし、江夏はラジオ番組で「当時、年間で10本くらいしかヒットを打っていないのに、僕から6、7本打っている。給料は僕が払っているようなもんですよ」と語るほどであり、ここぞの場面で渋い1本を必ず打たれた記憶があり「今でも夢に出てくる」ほどである。Number405号(1996年11月21日号)で野茂英雄と対談した際にもよく打たれた相手として挙げ、その中でも、林にだけタイミング良く打たれ、林の当時の年俸は自分が払っていたようなものと言っていた。

1972年オフに日拓ホームフライヤーズへ移籍し、1973年に現役を引退。

引退後

引退後は京都に戻ってタクシー運転手に転身し、タクシー会社に勤務した後に独立した。

詳細情報

年度別打撃成績

記録

  • 初出場・初打席:1962年9月30日、対読売ジャイアンツ24回戦(後楽園球場)、9回表に森徹の代打として出場、藤田元司の前に三振
  • 初安打:1963年9月1日、対広島カープ14回戦(川崎球場)、12回裏に池田英俊から単打
  • 初先発出場:1965年5月15日、対サンケイスワローズ7回戦(県営宮城球場)、7番・三塁手で先発出場
  • 初本塁打:1965年7月8日、対読売ジャイアンツ14回戦(札幌市円山球場)、7回表に高橋明からソロ

背番号

  • 35(1962年 - 1972年)
  • 58(1973年)

脚注

関連項目

  • 京都府出身の人物一覧
  • 横浜DeNAベイスターズの選手一覧
  • 北海道日本ハムファイターズの選手一覧

外部リンク

  • 個人年度別成績 林健造 - NPB.jp 日本野球機構

林健副主任医师_宁德市中医院骨科_中华康网

民主黨林子健訛稱被擄 被裁定虛報罪成 Now 新聞

【林健】医生上海市第一人民医院医院_网上预约挂号_图文问诊/电话问诊/门诊加号/在线问诊_京东健康互联网医院

全球影像网医院列表

事业如日中天的美国华人华侨联合总会会长林建新怎么可能自杀?