大道寺 繁殖(だいどうじ しげのり)は、江戸時代中期の弘前藩士。
生涯
安永元年(1772年)、家督750石を継いだ。寛政3年(1791年)には100石の加増を受け、家老となった。藩医・手塚玄通と政治を相談し、文学と経済を好んでいた。弘前藩の財政再建に尽力し、再建に成功した。このことは「寛政の善政」と褒め称えられた。
参考文献
- 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社
大道寺 繁殖(だいどうじ しげのり)は、江戸時代中期の弘前藩士。
安永元年(1772年)、家督750石を継いだ。寛政3年(1791年)には100石の加増を受け、家老となった。藩医・手塚玄通と政治を相談し、文学と経済を好んでいた。弘前藩の財政再建に尽力し、再建に成功した。このことは「寛政の善政」と褒め称えられた。