1994年の西武ライオンズ(1994ねんのせいぶライオンズ)では、1994年の西武ライオンズにおける動向をまとめる。

この年の西武ライオンズは、森祇晶監督の9年目のシーズンであり、5年連続16度目のリーグ優勝を果たしたシーズンである。

概要

4年連続のリーグ優勝を達成するも、ヤクルトに日本一を持って行かれ、雪辱を期す森監督はダイエーとの間で主力選手の大型トレードを敢行。ダイエーへ移籍した秋山幸二に代わって佐々木誠が1番を打つことで、打線は長打力こそ低下するが、安定性は向上すると森監督は考えていた。投手陣も中継ぎの柱だった内山智之の穴は橋本武広が埋め、2番手エースだった渡辺智男の穴は村田勝喜が埋めるはずだった。伊東勤の開幕戦史上初逆転サヨナラ満塁本塁打で勢いに乗ったチームは順調に勝ち進んだが、佐々木・橋本が活躍する一方で、ローテ入りが期待された村田は不振に陥り、新外国人選手のマイク・パグリアルーロとロッド・ブリューワも戦力になったとは言い難かった。加えて、西武ライオンズ育ての親である根本陸夫監督率いるダイエーがマークするなど苦戦。7月を9勝12敗と負け越し、8月も13勝13敗で苦戦したが、9月に入ると先発陣の郭泰源、石井丈裕、新谷博を揃ってリリーフへ回すスクランブル起用が成功し、11連勝を記録。ダイエー、オリックス、近鉄の上位チームのもたつきにも助けられ、10月2日の近鉄戦に勝って森監督が胴上げされた。日本シリーズは西武有利が予想されるも、第5戦でリリーフ陣の要だった杉山賢人が緒方耕一に満塁本塁打を打たれると流れが巨人へ傾き、第6戦は打線が槙原寛己から1点しか奪えず、最後のバッターで代打の切り札垣内哲也が三振に倒れゲームセット。試合後、森監督の勇退が正式に発表され、1982年の広岡達朗政権から続いた西武の黄金時代が終わりを告げた。

チーム成績

レギュラーシーズン

日本シリーズ

1994 サンヨー オールスターゲーム

  • 選出選手及びスタッフ
  • 太字はファン投票による選出。

できごと

選手・スタッフ

表彰選手

ドラフト

  • 網掛けの選手は逆指名による入団

脚注


1995年 西武ライオンズ 19 YouTube

1994年日本シリーズ第4戦 西武vs巨人 YouTube

1998年 西武ライオンズ 19+α YouTube

1993西武ライオンズ オープン戦ハイライト4 YouTube

1994西武ライオンズ新谷博VS千葉ロッテマリーンズ武藤潤一郎 西武球場 ミューレン 青柳進 南渕時高 清原和博 YouTube