池田 政倫(いけだ まさとも)は、江戸時代中期の旗本。通称は主馬、修理。官位は従五位下・筑後守。
経歴
享保2年(1717年)、池田政相の次男として誕生。池田豊常の末期養子となり、享保18年(1733年)9月2日、遺領を継ぐ。翌享保19年(1734年)9月29日、中奥番士に列し、寛保3年(1743年)1月11日、御徒頭となった。延享4年(1747年)12月23日、目付となり、宝暦6年(1756年)9月15日、堺奉行、閏11月1日、従五位下筑後守となった。宝暦8年(1758年)12月7日には大目付に就任した。
安永4年(1775年)8月9日、59歳で死去。池田政胤の娘を養女として、池田長恵に嫁がせ、跡を継がせた。
系譜
- 父:池田政相(1678-1738)
- 母:不詳
- 養父:池田豊常(1709-1733)
- 室:大岡忠恒の娘
- 養子
- 女子:池田長恵室 - 池田政胤の娘
- 男子:池田長恵(1745-1800) - 池田政晴の四男