ワシントンカラー(欧字名:Washington Color、1994年4月21日 - 不明)は、日本の競走馬、種牡馬。1997年のクリスタルカップ、根岸ステークス、1998年の根岸ステークス、1999年のガーネットステークス。

短距離を中心に芝・ダート両面で活躍。1999年までの4年間は柴田善臣が主戦を務め重賞4勝を含む7勝すべてを柴田とのコンビで記録している。

経歴

競走馬時代

1996年11月17日の東京3Rの新馬戦でデビューするも、1番人気を裏切り、後の青葉賞勝ち馬となるトキオエクセレントの4着に敗れる。12月8日の未勝利戦では2番人気と前走より評価をひとつ落としたが、ここでは後に中京記念を制するトーヨーレインボーを破り勝利した。

1997年は条件戦を2戦した後、クリスタルカップを制し自身の初重賞制覇とともにブラックタイアフェアー産駒の日本国内重賞初勝利を記録することとなった。だが、次走のニュージーランドトロフィー4歳ステークス、NHKマイルカップでは惨敗してしまう。そこで、ダートのオープン戦であるギャラクシーステークスに出走すると、2着のサンエムキングに3.1/2馬身を付けて圧勝。そしてユニコーンステークス2着を挟み、根岸ステークスを制し重賞2勝目を挙げる。その後はスプリンターズステークスに出走し3着となり、G1初入着を果たした。

1998年はガーネットステークスより始動するも5着。そしてフェブラリーステークス、シルクロードステークスと2戦するも4着、7着と勝ちきれない競馬が続いた。しかし、次走の高松宮記念ではシンコウフォレストの3/4馬身差の2着に入った。さらに次走の東京盃でも2着、そして根岸ステークスでは勝利を収め、同レースの2連覇を果たした。なおスプリンターズステークスではマイネルラヴの4着に敗れ、連対は途切れた。

1999年初戦のガーネットステークスでは1番人気に応える1着であった。しかし、これが自身の生涯最後のレース勝利となる。次走のフェブラリーステークスは1番人気に支持されたもののメイセイオペラの6着となり、プロキオンステークスでも1番人気を裏切り5着に敗れ、高松宮記念の後は脚部不安により長期離脱を余儀なくされた。その後は2001年の東京盃まで連対もなく、東京盃以降は武蔵野ステークス6着を挟み、とちぎマロニエカップ、年が明けて2002年のガーネットステークス、根岸ステークスの3戦連続3着と決して好走できなかったわけではないが、フェブラリーステークスではシンガリ負け、京王杯スプリングカップとプロキオンステークスでも惨敗し、9月に登録を抹消し引退した。

引退後

引退後は種牡馬入りし、三石橋本牧場にて繋養されていたが、産駒は10頭しか残せず、中央でオープン入りする馬は現れなかった。2006年10月4日付で転売不明となる。重賞競走を勝っているものの功労馬繋養展示事業の対象馬となっておらず、その後の消息は分かっていない。同じ牧場で供用されていたヤシマソブリンは種牡馬引退後に功労馬として余生を過ごしていたが、対照的な扱いとなった。

競走成績

以下の内容は、netkeiba.comおよびJBISサーチに基づく。

血統表


脚注

外部リンク

  • 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、KEIBA.GO.JP、JBISサーチ、Racing Post
  • ワシントンカラー(USA) - 競走馬のふるさと案内所

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