マーク・クリストファー・バルデス(Marc Christopher Valdes , 1971年12月20日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
MLB時代
1993年のMLBドラフト1巡目(全体の27番目)でフロリダ・マーリンズに指名され契約。1995年、メジャー初昇格。その後、モントリオール・エクスポズ、ヒューストン・アストロズ、アトランタ・ブレーブスと渡り歩く。
阪神時代
2002年1月28日に阪神タイガースと契約金、年俸それぞれ30万ドル(約4,000万円、推定)ずつで入団契約を結んだ。背番号は18。新監督の星野仙一から制球力や変化球を評価され、成本年秀に代わる抑え投手として期待された。シーズンに入るとクローザーとして活躍し、22セーブを挙げている。オフの10月11日には残留が決まっていたが、ジェフ・ウィリアムスの獲得を受けて解雇となった。
中日時代
ウェイバー公示を受け、2002年11月15日に中日ドラゴンズが獲得を発表。12月21日に年俸100万ドル(約1億2,000万円、推定) 出来高払いで契約している。背番号は当初36に内定していたが、程なくしてオリックス・ブルーウェーブから移籍した平井正史と交換する形で38に変更され、更に同年途中に中日に入団したオマール・リナレスと交換し、44に再度変更された。
2003年は、メルビン・バンチの穴を埋める先発投手として活躍を期待されていた。オープン戦で結果を残し、先発ローテーション入り。開幕4戦目・4月1日のヤクルトスワローズ戦(ナゴヤドーム)で初登板したが、5回7失点で敗戦投手となった。4月22日の古巣・阪神戦(ナゴヤドーム)と27日のヤクルト戦(神宮球場)では2試合連続でKOされ、マーチン・バルガスと入れ替わる形で二軍に降格した。
7月4日に一軍昇格すると、それ以降は中継ぎとして登板。中継ぎ登板では防御率2点台と結果を残したこと、バルデス本人が中日残留を熱望していたことにより、翌年も中日でプレーすることになった。オフには年俸70万ドル(約7,500万円)で契約を更改した。
2004年は1月29日に来日。本人は抑えでの登板を希望していたが、3月23日のオープン戦・阪神戦(ナゴヤドーム)で右膝半月板を損傷したため、開幕二軍スタートとなった。
復帰後は中継ぎとして登板。8月1日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)では延長11回表に登板し無失点に抑えると、11回裏に川相昌弘がサヨナラ適時打を放ったため、移籍後初白星を挙げた。
同年はチームの優勝に貢献。日本シリーズ第2戦(10月17日)で、中日の投手では初めてナゴヤドームでの日本シリーズの試合で勝利投手となったが、オフに退団。
中日退団後
2005年はニューヨーク・ヤンキース傘下の2A・トレントン・サンダーや3A・コロンバス・クリッパーズでプレーし、同年限りで現役引退。2007年からはコーチに転身し、2011年はニューヨーク・メッツ傘下の2A・ビンガムトン・メッツで投手コーチを務めている。
プレースタイル
球質の重いムービングファストボールと高速スライダー、低めへの制球力が持ち味だった。
詳細情報
年度別投手成績
記録
- NPB投手記録
- 初登板・初セーブ:2002年3月31日、対読売ジャイアンツ2回戦(東京ドーム)、9回裏に6番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:2002年4月4日、対横浜ベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、11回裏にマイク・グランから空振り三振
- 初勝利:2002年6月29日、対横浜ベイスターズ14回戦(阪神甲子園球場)、10回表に2番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初先発:2003年4月1日、対ヤクルトスワローズ1回戦(ナゴヤドーム)、5回7失点で敗戦投手
- NPB打撃記録
- 初安打:2002年8月4日、対ヤクルトスワローズ19回戦(阪神甲子園球場)、10回裏に五十嵐亮太から投手前安打
背番号
- 44 (1995年 - 1996年)
- 18 (1997年 - 1998年)
- 16 (2000年)
- 43 (2001年)
- 18 (2002年)
- 36 (2003年移籍当初)
- 38 (2003年当初)
- 44 (2003年 - 2004年)
脚注
注釈
出典
関連項目
- オハイオ州出身著名人の一覧
- 阪神タイガースの選手一覧
- 中日ドラゴンズの選手一覧
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- M.バルデス(中日ドラゴンズ) | 個人年度別成績 | NPB.jp 日本野球機構