石原 健三(いしはら けんぞう、1864年2月20日(文久4年1月13日) - 1936年(昭和11年)9月4日)は、日本の内務官僚、裁判官、政治家。枢密顧問官、貴族院議員。位階勲等は正二位勲一等。
経歴
備前国邑久郡、後の岡山県邑久郡笠加村出身。農業・石原庫平の三男として生まれる。岡山中学、大学予備門を経て、1889年(明治22年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。判事試補となり京橋区治安裁判所勤務となる。以後、司法省参事官試補、民事局勤務、長崎控訴院書記長、熊本地方裁判所判事などを歴任。
1892年(明治25年)10月、内務省に転じ、茨城県参事官、同県内務部第一課長兼第三課長、大阪府参事官、香川県警察部長、岐阜県書記官を歴任。1899年(明治32年)8月、内務省参事官・官房文書課長に就任し、さらに内務書記官・警保局保安課長を務めた。
1901年(明治34年)8月、山梨県知事に任命され、千葉県、高知県、静岡県、愛知県、神奈川県の各知事、北海道庁長官を歴任した。
1915年(大正4年)8月、宮内次官に就任し、1921年(大正10年)8月まで在任。1922年(大正11年)10月4日、貴族院勅選議員となり、1927年(昭和2年)5月31日まで務める。その後、枢密顧問官となり死去するまで在任。1930年(昭和5年)3月には竹田宮附別当に就任している。1936年(昭和11年)9月4日薨去。享年73歳。墓所は多磨霊園1区1種1側5番。
栄典
- 位階
- 1899年(明治32年)6月20日 - 正六位
- 1903年(明治36年)11月10日 - 正五位
- 1909年(明治42年)9月20日 - 従四位
- 勲章等
- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲三等旭日中綬章・明治三十七八年従軍記章
- 1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章(大正)
- 1916年(大正5年)1月19日 - 勲一等瑞宝章
- 1921年(大正10年)7月1日 - 第一回国勢調査記念章
著訳書
- 著書
- 『政治原論』博文館、1890年。
- 『法理学』博文館、1890年。
- 天野為之との共著『英国憲法精理』冨山房、1889年。
- 訳書
- 木下新三郎との共訳、クレーン著『政治学』冨山房、1891年。
脚注
出典
参考文献
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 『山梨百科事典』増補改訂版、山梨日日新聞社、1989年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
- 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
関連項目
- 岡山県出身の人物一覧