スーザン・メアリー・イェイツ、通称リリー・イェイツ(英語: Susan Mary "Lily" Yeats 、1866年8月25日 - 1949年1月5日)は、アイルランド生まれの刺繡作家、経営者。クアラ工業の刺繡部門を1908年に設立、1931年の解散に至るまで経営した。ケルト復興運動に関わる。著名な刺繡画の作品を残した。
幼少期と教育
アイルランドのスライゴ県エニスクローンに生まれる。父ジョン・バトラー・イェイツ、母スーザン・イェイツ(旧姓Pollexfen)との間に、長じて詩人になる年子の兄ウィリアム・バトラー、2歳年下の〈ロリー〉・エリザベス、5歳下の末弟ジャックがあった。幼少期は病弱で5歳から8歳(1872年7月 - 1874年11月)まで母方の祖父に預けられ、スライゴーのマービルで転地療養をしている。その後、ロンドンのウェスト・ケンジントン、エディス・ヴィラ14番地に暮らす親きょうだいに合流した。イェイツ家の子供たちには住み込みの家庭教師マーサ・ジョウィットがつき、1876年まで家庭学習を受ける。
1878年、一家がチジックに引っ越しベドフォードパークの大きな家で暮らし始めたのを契機に、イェイツは短いあいだノッティングヒルの学校に通う。1881年、妹のエリザベスと共にダブリンのハウスに移ったイェイツは1883年にダブリン・メトロポリタン美術学校に入学。姉妹でダブリン王立協会にも在籍している。
イェイツ家がサウス・ケンジントン (en) のアードリー・クレセントに転居して間もなく1887年にイェイツは病いにふせり、親元に送り返されるはずだったところをハダースフィールドの叔母の家で病弱な母をまじえた暮らしが始まる。しかし1年後、結局はベドフォードパーク (ブレナムロード3番地) の家族の元に戻っている。一家はこの時期からしばしばハマースミスのケルムスコット・ハウスへウィリアム・モリスを訪ねている。ロンドンで姉妹はエヴリン・グリーソンと親しかった。また、姉妹が1880年代後半に棲んでいたベドフォードパークは、神智学協会の創始者ヘレナ・P・ブラヴァツキー、詩人のジョン・トッドハンター、女優のフローレンス・ファーなどの知識人、芸術家、作家たちが住むアーティスティックな街だった。
アーツ・アンド・クラフツ運動を展開するモリスは家計が逼迫するイェイツ家を見かね、自らが提唱する様式の刺繡を習わないかとリリーに声をかけることにする。後世にアート刺繡と呼ばれる様式である。1888年12月10日にモリス商会(Morris&Co.)に就職、1週目の給金は10シリングであり、半年を待たず、1889年3月には社内で刺繡の指導役に昇格している。刺繡部門の経営者はモリスの娘メイ・モリス(1862年 - 1938年)で、弟子入りした形のイェイツは1894年4月に病気を理由に退職するまで勤め続けた。
会社を辞めて南フランスのイエールに滞在し、しばらく家庭教師として働いた間に腸チフスを発症すると、1896年12月にロンドンに戻った。イェイツは親しくなった作家のスーザン・L・ミッチェルを1897年後半からロンドンの自宅に下宿させた。
職歴
1900年にダブリンに戻ったのちのイェイツは、妹のエリザベスとエヴリン・グリーソンとともにダン・エマー工房を組み、自らは縫製部門の責任者になる。
それまでの経緯として、メイ・モリスの下で勤めた計6年は雇い主との関係が険悪になるばかりの年月でもあり、理由を付けて退職する原因にもなった。フランスに渡るが1895年に腸チフスにかかってしまい、健康の不安を抱えたまま5年ほどを過ごすことになる。母親をなくした1900年、イェイツ姉妹は親しかったエヴリン・グリーソンと共にアイルランドに戻っていく。3人はその2年後の1902年にダブリン近郊に手工芸の工房を開くと、アイルランド神話の英雄クー・フーリンの妻エマーからダン・エマー(エマーの砦)と名付ける。ダン・エマー工房は刺繡のほか印刷(ダン・エマー・プレス)や敷き物のラグ、あるいはタペストリー作りにしぼり、おりしも成長めざましいアイルランドのアーツ・アンド・クラフツ運動で注目のギルドになる。地元の若い女性を雇うと、工房の主力製品の製造に加えて、絵画やデッサン、料理や縫製、アイルランド語の授業を受けさせた。工房でリリー・イェイツの担当は刺繡部門の経営で、教会の内装用のテキスタイルや家庭向けの製品作りにいそしむ。
イェイツ姉妹とグリーソンの間で個人的・財政的な緊張が高まり、1904年に工房をダン・エマー・ギルド(責任者グリーソン)とダン・エマー工業の2部門に編成し直して経営はイェイツ姉妹が行い、1908年には分社を果たす。ダン・エマーの名称はグリーソンが保持し、イェイツ姉妹はダブリン近郊のチャーチタウンにクアラ工業名義で新会社を設立、私家版印刷所のクアラ・プレス、刺繡工房を運営した。兄ウィリアムの資産家の妻で、組織運営に優れたジョージー・ハイド・リーズ・イエィツが経営難のクアラ・プレスの面倒を見てやっており、刺繡部門では衣料品とリネン類の生産に当たった。
仲違いはあったものの、リリーとエリザベスのイェイツ姉妹は成人してからずっと生活を共にしている。1923年、ロンドンで休暇を過ごしていたリリーが倒れ重篤になると、原因は結核だろうとみなされ、7月に男きょうだいの手配でロンドンの老人ホームにベッドを確保し、リリーを翌年の4月まで預けることにした。病状は快復しクアラに戻ることができたものの、刺繡部門はすでに傾き始めており、そのなか1931年に再びリリーが体調を崩してしまう。クアラ工業の刺繡部門解散の決定が下された当時、イェイツ本人が書き残したものが伝わっている。
病気をしたというのに、どうして仕事など始めてしまったのだろう。8年間、どれほどつらかったことか、毎年、会社が悪くなってとうとう行き詰ってしまった。
会社の部門をたたんだのちもリリー・イェイツは刺繡画の販売を続け、1949年に亡くなった。
批評
アイルランド人作家のジェイムズ・ジョイスは『ユリシーズ』で、ダン・エマー・プレスの書籍の奥付にみられるケルト復興運動の人類学的な仰々しさを嘲笑い、イェイツ姉妹の出版活動を風刺し、彼女らを変わり者のオールドミスとして、また有名な兄の女中(隷属的存在)に過ぎないとする不当な戯画化に一役買った。
イェイツ姉妹の政治とジェンダーに対する立場は表向き保守的であったが、彼女たちの日々の実践とグリーソンとの協働は、フェミニズム、アイルランドのナショナリズム、アーツ・アンド・クラフツ運動、そして初期のモダニズムの絡み合う様々な潮流の広範な緊張関係と交差を照らし、映し出すものとなっている。
参考文献・資料
- Allen, Nicholas (2009). “Yeats, Susan Mary (‘Lily’)”. In McGuire, James; Quinn, James. Dictionary of Irish Biography. Cambridge: Cambridge University Press
- “History of the Cuala Press”. Boston College Libraries Newsletter. ボストンカレッジ図書館 (2008年秋学期). 2009年7月26日閲覧。
- “Susan Yeats”. Trent University. 2009年7月26日閲覧。 スーザンほかイェイツ家の書簡集、トレント大学収蔵 (アーカイブ)
- Brown, Terence (2001). The Life of W. B. Yeats. Wiley-Blackwell. ISBN 0-631-22851-9
- Faulkner, Peter (November 1995). “Dark Days at Hammersmith: Lily Yeats and the Morrises”. Journal of William Morris Studies (William Morris Society) 11.3 (Autumn 1995): 22–25. http://www.morrissociety.org/JWMS/AU95.11.3.Faulkner.pdf 2009年7月26日閲覧。.
- Foster, R.F. (2005). W. B. Yeats: A Life Volume II: The Arch-Poet 1915-1939. Oxford University Press. ISBN 0-19-280609-2. https://books.google.com/books?id=DZiLC9L3cRQC&pg=PA240&lpg=PA240&dq=cuala industries embroidery
- Pyle, Hilary (1989). Jack B. Yeats: A Biography. Rowman & Littlefield. ISBN 0-389-20892-2. https://books.google.com/books?id=SIBKBJkfivMC&pg=PA168&lpg=PA168&dq=lily yeats died 1949 2009年7月28日閲覧。
- Saddlemyer, Ann (2004). Becoming George: The Life of Mrs W. B. Yeats. Oxford University Press. ISBN 0-19-926921-1. https://books.google.com/books?id=SGwqBDQLzMIC&pg=RA1-PA536&lpg=RA1-PA536&dq=cuala industries embroidery 2009年7月26日閲覧。
- Sheehy, John (1980). The Rediscovery of Ireland's Past: The Celtic Revival 1830–1930. Thames and Hudson. ISBN 0-500-01221-0
脚注
注釈
出典
関連項目
- アーツ・アンド・クラフツ運動
- クアラ・プレス エリザベスが担当したクアラ工業の印刷出版部門。兄ウィリアムをはじめアイルランド文芸復興の作家の本を出版。女性のみで運営し、新作を積極的に出版。
- ノルマン人のアイルランド侵攻 出版社名の由来、クアラの地(ダブリン南部)が敵の手に落ちた一連の戦い。ケルト復興運動のキーワード。
関連資料
代表執筆者の姓のABC順。
- 日下隆平、 Yeats, William Butler「W. B.イェイツ : 『幼年期と青春期の回想』VI~XIII」『英米評論』第16号、桃山学院大学総合研究所、2001年12月、197-218頁、CRID 1050001337591858048、ISSN 09170200。
- Hardwick, Joan. The Yeats Sisters : A Biography of Susan and Elizabeth Yeats. (HarperCollins. Pandora, 1996). ISBN 0-04-440924-9 ISBN 0-04-440924-9. イェイツ姉妹の伝記
- Murphy, William M. "Family Secrets: Wiliam Butler Yeats and His Relatives." Syracuse University Press, 1995. 詩人イェイツと家族の伝記
リリー・イェイツの刺繡画
- 「石壁に2羽のカササギ」(1934年頃・www.artnet.de より、以下同)
- 「芍薬と梅 」角形クッション(刺繡入り)
- 「コートを羽織ったマリア像」
外部リンク
- ダン・エマー工房とクアラ出版の作ったもの(英語) アイルランド国立図書館特別展
- イェイツ協会スライゴ支部(英語)
- イェイツ家関連書簡集(英語) ボストンカレッジ附属ジョン・J・バーンズ図書館収蔵