小野 吉彦(おの よしひこ、1853年(嘉永5年12月)- 1908年(明治41年)3月3日)は、明治期の銀行家、政治家。衆議院議員。
経歴
豊後国大分郡、のちの大分県大分郡豊府村(大分町を経て現大分市南大分)で、小野吉郎の長男として生まれた。
大分郡会議員、同参事会員を務める。1880年(明治13年)大分県会議員に選出され、衆議院議員在任中を除き、1895年(明治28年)まで務め、この間、副議長に2度在任した。1882年(明治15年)立憲改進党の結党に設立準備委員として参画。1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙(大分県第1区、無所属)では落選したが、1892年(明治25年)2月の第2回総選挙(大分県第1区、弥生倶楽部(自由党))では元田肇に競り勝って当選し、その後、同志倶楽部(同志政社)に所属し衆議院議員に1期在任した。
1893年(明治26年)大分銀行の設立に参画し監査役に就任し、取締役を経て、1900年(明治33年)1月、同頭取となる。1898年(明治31年)大分県農工銀行の設立に際して頭取に就任し、死去するまで両行頭取を務めた。
また、大分中学校(現大分県立大分上野丘高等学校)の移転問題に際して、所有の豊府村律院(現大分市上野丘)の土地を提供している。
脚注
参考文献
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 大分放送大分百科事典刊行本部編『大分百科事典』大分放送、1980年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。