信太 範貞(しのだ のりさだ)は、戦国時代の武士。小田政治の家臣。常陸国土浦城主。
略歴
信太家範の子として誕生。
永正13年(1516年)、菅谷勝貞が土浦城の若泉五郎左衛門を討ち、範貞が新しく土浦城主に置かれ政治により菅谷勝貞を養子とした。
大永4年(1524年)、病没。病没後、養子・勝貞が跡を継いだがのちに菅谷姓に復している。子孫は江戸時代に旗本として存続した。
出典
- 「常陸国信太郡に足跡を残した人達」(1998年、信田汎二著)
- 『寛政重修諸家譜』
信太 範貞(しのだ のりさだ)は、戦国時代の武士。小田政治の家臣。常陸国土浦城主。
信太家範の子として誕生。
永正13年(1516年)、菅谷勝貞が土浦城の若泉五郎左衛門を討ち、範貞が新しく土浦城主に置かれ政治により菅谷勝貞を養子とした。
大永4年(1524年)、病没。病没後、養子・勝貞が跡を継いだがのちに菅谷姓に復している。子孫は江戸時代に旗本として存続した。