井上 正幸(いのうえ まさゆき)は、江戸時代前期の常陸国笠間藩の世嗣。官位は従五位下・出雲守。
略歴
2代藩主・井上正任の長男として誕生した。母は本多忠義の娘。子は井上正岑養女(松平康房正室のち本多忠貞正室)。
嫡男として生まれ、寛文2年(1662年)に将軍徳川家綱に御目見した。寛文9年(1669年)に叙任する。しかし、家督相続前の元禄2年(1689年)に廃嫡される。代わって次弟の正岑が嫡子となった。
正岑は元禄5年(1692年)に家督を相続したが、井上家はその前後に4度の転封を行った。正幸は3度目の転封後の常陸下館藩時代、正徳4年(1714年)に63歳で没した。法名は性學院稱山日榮。