マルタ・ドマホフスカMarta Domachowska, 1986年1月16日 - )は、ポーランド・ワルシャワ出身の女子プロテニス選手。2006年1月にオーストラリア・キャンベラ大会のダブルスで優勝し、当地の女性として初めてWTAツアーのダブルス・タイトルを獲得した選手である。シングルスの優勝はないが、3度の準優勝がある。シングルス自己最高ランキングは37位(2006年4月)。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

来歴

ドマホフスカは父親の勧めにより、8歳の時からポーランドの首都・ワルシャワのテニスクラブに通い始めた。彼女は2001年からプロテニス選手になったが、しばらくジュニアの大会に出場し、2003年全豪オープンのジュニア女子シングルスで準決勝に進んだことがある。2004年の全仏オープンで4大大会予選会に初出場。同年10月、ドマホフスカは韓国・ソウル大会で初めてのシングルス決勝戦に進出したが、第1シードのマリア・シャラポワに 1-6, 1-6 で完敗した。この活躍により、彼女は初めて世界ランキング100位以内に入った。

2005年5月、フランス・ストラスブール大会(全仏オープンの最後の前哨戦)で2度目のシングルス準優勝。2006年1月、ドマホフスカはオーストラリア・キャンベラ大会でロベルタ・ビンチ(イタリア)とコンビを組み、女子ツアー大会でダブルス初優勝を飾った。これはポーランドの女子選手がWTAツアーで獲得した最初のダブルス・タイトルである。同年2月後半のアメリカ・メンフィス大会で3度目のシングルス準優勝を記録した後、ドマホフスカはシングルスの自己最高ランキング「37位」をマークした。2006年10月に「ジャパン・オープン」で初来日した時は、2回戦で台湾の詹詠然に敗れた。

彼女はこれまで4大大会シングルスでの好成績が少なく、2005年ウィンブルドンから2007年全豪オープンまで5大会連続の1回戦敗退に終わり、2007年全仏オープンと全米オープンは予選会で敗退した。極度の不振に苦しんだ2007年シーズンの後、2008年全豪オープンを迎える。ドマホフスカは予選3回戦で日本の森田あゆみを破り、1年ぶりの4大大会本選復帰を決めると、本戦でも初めての4回戦に勝ち進んだ。初進出の4回戦では、第8シードのビーナス・ウィリアムズに 4-6, 4-6 で敗れた。この大会では、第29シードに選ばれたアグニエシュカ・ラドワンスカがベスト8に進み、ポーランドの女子選手が2人4回戦に勝ち残る快挙を見せた。同年のウィンブルドンでは、2回戦でドマホフスカとラドワンスカの“ポーランド対決”が実現し、ドマホフスカは第14シードのラドワンスカに 1-6, 3-6 で敗れた。

2009年は4大大会全てで初戦敗退を喫した。2010年は予選で敗退し4大大会には出場できなかった。ランキングを大きく下げてしまい女子ツアー下部大会でプレーしていたが、2015年2月のグルノーブルでの大会が最後になり、29歳で現役を引退した。

2013年から同じポーランドのテニス選手のイェジ・ヤノヴィッツと交際しており、2019年に第1子の長男を出産している。

WTAツアー決勝進出結果

シングルス: 3回 (0勝3敗)

ダブルス: 5回 (1勝4敗)

4大大会シングルス成績

略語の説明

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

脚注

外部リンク

  • マルタ・ドマホフスカ - WTAツアーのプロフィール (英語)
  • マルタ・ドマホフスカ - ビリー・ジーン・キング・カップのプロフィール (英語)
  • マルタ・ドマホフスカ - 国際テニス連盟

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