中塚古墳(なかつかこふん)は、福井県三方上中郡若狭町脇袋にある古墳。形状は前方後円墳。上中古墳群(うち脇袋古墳群)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている。
概要
福井県南西部、若狭地方中央部にある膳部山(ぜんぶやま)の西側山麓に築造された古墳である。膳部山山麓は、本古墳含む7基(現存確認5基)からなる脇袋古墳群が営造された地域であるが、特に若狭地方の広域首長墓(若狭の王墓)とされる古墳3基(上ノ塚古墳・西塚古墳・中塚古墳)を含み、「王家の谷」に擬される地域になる。本古墳はこれまでに宅地化・畑地利用で墳丘が大きく改変を受けているほか、1992年(平成4年)に発掘調査が実施されている。
墳形は左右非対称の前方後円形で、前方部を南方に向ける(西塚古墳と同方向、上ノ塚古墳と逆方向)。墳丘は2段築成。墳丘外表では葺石が認められている。墳丘周囲には盾形の周濠が巡らされており、周濠外堤の斜面でも葺石が認められるほか、周濠内からは円筒埴輪が検出されている。埋葬施設は明らかでないが、横穴式石室と推定される。
築造時期は、古墳時代中期の5世紀末(または5世紀末-6世紀初頭)頃と推定される。若狭の首長墓としては西塚古墳に後続し、十善の森古墳に先行する時期に位置づけられる。被葬者は明らかでないが、後背の「膳部山」の名にも見えるように、一帯の脇袋古墳群ひいては上中古墳群は若狭国造の膳臣(かしわでのおみ、膳氏)一族の首長墓群と考えられており、本古墳もその1つと想定される。
古墳域は1935年(昭和10年)に国の史跡に指定されている。
遺跡歴
- 1935年(昭和10年)12月24日、国の史跡に指定。
- 1992年(平成4年)、発掘調査。
- 2008年(平成20年)、地中レーダー探査・電気探査(奈良文化財研究所・若狭町)。
墳丘
墳丘の規模は次の通り。
- 墳丘長:約70メートル(または72メートル)
- 後円部 直径:約46メートル
- 前方部 幅:約60メートル
文化財
国の史跡
- 中塚古墳 - 1935年(昭和10年)12月24日指定。
関連施設
- 若狭町歴史文化館(若狭町市場) - 中塚古墳の出土埴輪等を保管・展示。
脚注
参考文献
- 『日本歴史地名大系 18 福井県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490182。
- 「上中古墳群」、「中塚古墳」。
- 山口充「中塚古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 宮崎認「中塚古墳」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。
- 「中塚古墳」『国指定史跡ガイド』講談社。 - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。
関連項目
- 脇袋古墳群
- 上ノ塚古墳
- 西塚古墳
- 糠塚古墳
- 脇袋丸山塚古墳(上下の森古墳)
外部リンク
- 中塚古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 中塚古墳 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- 中塚古墳 - 福井県ホームページ「福井の文化財」
- 中塚古墳 - 小浜市・若狭町日本遺産活用推進協議会「日本遺産 御食国若狭と鯖街道」