奈勿王陵(なもつおうりょう、ハングル: 내물왕릉〈ネムルワンヌン〉)は、韓国の慶尚北道慶州市校洞(ハングル: 교동〈キョドン〉)にある新羅第17代王(尼師今・麻立干)奈勿(なもつ〈ネムル〉)の陵とされる墳墓である。
1969年8月27日、大韓民国指定史跡第188号に新羅奈勿王陵(ハングル: 신라내물왕릉)として指定された後、2011年07月28日に現在の慶州奈勿王陵(ハングル: 경주 내물왕릉)に名称変更された。
2000年11月、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(文化遺産)に登録された慶州歴史地域(慶州歴史遺跡地区、ハングル: 경주역사유적지구)の月城地区にある鶏林の西側に位置し、南山地区(慶州南山一円〈史跡第311号〉)の一部(北麓)となる。
概要
奈勿王陵は、高さ5.3メートル、直径22メートルの円形封土墳であり、周囲を自然石の護石で固めた封土(盛土)のほかに要素の見られない外観から五陵の形式に分類される。内部の構造形態は積石木槨墳と推定されるほか、横穴式石室墳であることも考えられる。
この奈勿の王陵とされる墳墓は、『三国遺事』の「陵は占星台(瞻星台)の南西に在り」という記述をもとに比定されるが、皇南大塚(98号墳)を奈勿の王陵と捉える説もある。
新羅第17代王の奈勿(在位356-402年)は、王位に就く三姓(朴・昔・金)のうち、金氏として13代王(尼師今)の味鄒(みすう〈ミチュ〉、在位262-284年)に次いで2番目に王位に就き、以降、金氏が王位を独占的に継承している。
脚注
参考文献
- 秦弘燮『慶州文化財散歩』學生社、1973年。
- 李丙洙「朝鮮の姓 - 由来と南・北の現実を中心に」『史苑』第43巻第1号、立教大学史学会、1983年6月、1-23頁、doi:10.14992/00001196、ISSN 03869318、2023年10月31日閲覧。
- 新羅史研究会「『三国遺事』訳註(一〇)」『朝鮮文化研究』第10巻、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部朝鮮文化研究室、2007年3月10日、75-88頁、doi:10.15083/0002003111、hdl:2261/0002003111、2023年5月17日閲覧。
- 「歴史探訪 韓国の文化遺産」編集委員会 編『歴史探訪 韓国の文化遺産 下 慶州・釜山』山川出版社、2016年。ISBN 978-4-634-15088-1。
関連項目
- 奈勿尼師今
- 大韓民国指定史跡
- 慶州歴史地域
外部リンク
- “慶州 奈勿王陵(경주 내물왕릉)”, Visit Korea (韓国観光公社), (2022-08-29), https://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TMC/TE_JA_7_1_1.jsp?cid=1961779