大幸(だいこう)は、愛知県名古屋市東区の地名。現行行政地名は大幸一丁目から大幸四丁目。住居表示実施。
地理
名古屋市東区北東部に位置する。東は砂田橋二丁目、南は矢田南四丁目・大幸南一丁目、北は守山区に接する。
河川
- 矢田川
歴史
西春日井郡大幸村を前身とする。
町名の由来
由来は複数説ある。当地が矢田川畔であることから「大河」が転じたとも、近くの「醍醐森」の森が省かれ転じたとも、南にあった上野村が狩りの好適地であり山の幸が豊かであった、すなわち「大幸」(おおさち)であったのを戦国時代に音読するようになったともいう。また、森を離れた場所を意味するという「タイコ」なるアイヌ語に由来するとする説もある。
沿革
- 1889年(明治22年)10月1日 - 合併に伴い、西春日井郡六郷村大字大幸となる。
- 1921年(大正10年)8月22日 - 合併に伴い、名古屋市東区大幸町となる。
- 1935年(昭和10年) - 現在の大幸南一丁目にあたる一帯に三菱重工業の工場が設置され、以降農村からの脱却が進むこととなる。
- 1943年(昭和18年)8月10日 - 矢田町との間で境界を変更する。
- 1944年(昭和19年) - 軍需産業の発達に伴い航空機製造の一大拠点となっていた一帯が、名古屋大空襲により壊滅する。
- 1984年(昭和59年)
- 1月15日 - 一部が大幸南一丁目に編入される。
- 10月22日 - 一部が砂田橋一丁目から同四丁目にそれぞれ編入される。
- 1987年(昭和62年)11月24日 - 大幸町を廃止し、大幸一丁目から同四丁目を編成。同時に住居表示を実施する。また、大幸一丁目から同三丁目には矢田町の一部を編入している。
世帯数と人口
2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる。また、公立高等学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
交通
鉄道
- 名鉄瀬戸線矢田駅
- 名古屋ガイドウェイバス(ガイドウェイバス志段味線(ゆとりーとライン)ナゴヤドーム前矢田駅
- 名古屋市営地下鉄名城線砂田橋駅
道路
- 瀬戸街道(愛知県道15号名古屋多治見線)
施設
- 大幸公園
- 大幸三丁目に所在する都市公園。1941年(昭和16年)開園。
- 名城幼児園
- 八幡社
- 源義家が飲み水を求め矢を田に刺すと、わき水を得、「大幸、大幸」と喜んだとする伝説が残る。
- 大幸保育園
- 臨済宗妙心寺派大幸寺
その他
日本郵便
- 郵便番号 : 461-0043(集配局:名古屋東郵便局)。
脚注
WEB
書籍
参考文献
- 野村三郎 著「「アイヌ」語より考察したる名古屋市附近の地名」、名古屋市中村区役所 編『中村区地名のおこり』名古屋市中村区役所、1967年3月、56頁。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。全国書誌番号:93012879。
- 名古屋市農政緑地局管理部緑地管理課 編『名古屋市の公園 1996年』名古屋市農政緑地局管理部緑地管理課、1996年。
関連項目
- 名古屋市の地名
外部リンク
- ウィキメディア・コモンズには、大幸に関するカテゴリがあります。