田代 寿雄(壽雄、たしろ ひさお、1890年(明治23年)3月2日 - 1963年)公職追放まで三井鉱山社長を、戦後、民営化された後の帝国石油社長を務めた。
略歴
静岡県御殿場市出身。1907年(明治40年)、旧制静岡県立静岡中学校修了。旧制第一高等学校を経て、1914年(大正3年)東京帝国大学法学部政治学科卒業。卒業後は三井鉱山に入社した。1945年(昭和20年)に同社長に就任した。
GHQの財閥解体措置の一環として、1946年(昭和21年)12月に持株会社整理委員会令が改正され、財閥の主要な人物は会社役員を辞任することが強要された。翌1947年(昭和22年)1月には公職に関する就職禁止、退官、退職等に関する勅令、いわゆる公職追放令が制定され、主要な経営者が財界から追放されるに至った。三井鉱山の場合、社長・常務取締役を含む24名が追放令の該当者となった。1945年(昭和20年)12月の株主総会で田代寿雄社長以下18名が新役員に就任していたが、この追放令を受けて現役の役員は全員辞任した(1947年2月14日)。この間、鉄道会議議員、日本石炭鉱業会会長、三洋石炭社長を務めた。
追放解除後の1952年(昭和27年)9月、帝国石油社長に就任。社長は1954年(昭和29年)9月まで務めた。1955年(昭和30年)6月経団連推薦委員となった。
人物
静岡中学では野球部(現在の静岡高校野球部)に所属、第一高等学校で捕手を務めた。
脚注
出典
参考文献
- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第19版 東京篇』帝国秘密探偵社、1956年。
関連項目
- INPEX
外部リンク
- 昭和29年1954年4月15日 参議院通商産業委員会会議録11,14〜17ページ参照。