弓 哲玖(ゆみ あきひさ、1958年(昭和33年) - 2013年(平成25年)2月21日)は日本の歯科医師。障害者歯科・有病者歯科。特に自閉症児の歯科治療には長年関わっていた。
障害児の人権に配慮したポンチョ型の抑制衣の考案者であり 、車椅子対応診療ユニットの改良などユニバーサルデザイン考案などのデザインにも関わる。
母親は日本画家。妹は、社会教育コンサルタントの藤原琴(張琴)。
日本国外では李方子とも親交があり、知的障害児施設との関わりなどの影響を受けた。
略歴
- 1958年(昭和33年) 京都府京都市に生まれる。
- 1977年(昭和52年) 立命館高等学校普通科卒業
- 1983年(昭和58年) 日本歯科医師免許取得
- 1983年(昭和58年) 韓国・延世大学校 歯学部客員研究員(同年同国歯科医師免許取得)
- 1989年(平成元年) ニューヨーク州立大学バッファロー校歯学部臨床指導員
- 1990年(平成2年) 同校歯学部客員フェロー(特別研究員)
- 2007年(平成19年)宮城県大崎市に弓歯科医院を開院。
- 2013年(平成25年) 2月21日朝、特発性肺線維症のため宮城県大崎市内の病院で死去。54歳没。
人物
小学校の時に、宮城まり子と出会い、福祉ボランティアに関わるようになる。歯学生時代に、岸本正教授(歯科矯正)と出会い、当時、口蓋裂患者の歯列矯正が保険適用されていない事を知り、海外留学し、障害者歯科を学び、オー教授(ペインコントロール)に師事。
1989年から、ニューヨーク州立大学バッファロー校歯学部臨床指導員。マイケル・ミナハン教授(オドントロジー)に師事。早老病(プロジェリア)を日本に紹介するなど積極的な活動を行った。
米国ニューヨーク州でのマジックショーをはじめ、数多くのボランティア マジックショーの活動も。クリスマスシーズンは手品をするサンタクロースを演じるなど草の根活動を続けていた。
2011年3月11日の東日本大震災後、遺体の歯型から身元を確認する作業を続けてきた。2012年5月、レディー・ガガが東日本大震災復興支援オークションに出品したティーカップを601万1000円で落札。2013年2月20日にそのカップを宮城県に寄贈し、その翌日に死去した。
出典
- 健康(主婦の友社1987年)
- 日本歯科東洋医学会講演妙録(1987年)
- Buffalo General Hospital"Acupuncture Anesthesia"Oct,1989
- 特別講演会シベール(2004年)