ジャン2世・ド・ブリエンヌ(Jean II de Brienne, 1250年ごろ - 1294年6月12日)は、ウー伯アルフォンス・ド・ブリエンヌとマリー・デクソダン(リュジニャン)の息子。母マリーはウー伯領の相続人であり、ジャン2世は1260年に母よりウー伯位を継承した(ウー伯年代記およびウーの教会の死者名簿には、アルフォンスについて「アルフォンス卿」あるいは「エルサレム王の息子アルフォンス」とされており、「伯爵」の称号が付されていないことから1260年のマリーの死により伯位が息子に継承されたとみられている)。ジャン1世ともいわれる。
ジャン2世はサン=ポル伯ギー3世の娘ベアトリスと結婚し、以下の子女をもうけた。
- ジャン3世(1302年没) - ウー伯
- ジャンヌ(1325年3月12日以降没) - テュレンヌ子爵レーモン6世(1304年没)と結婚、1314年8月4日以前にピキニー領主ルノー(1315年没)と結婚
- マオー(1328年以降没) - アルフォンソ・デ・ラ・セルダと結婚
ジャン2世は1294年にクレルモン=アン=ボーヴェジーで死去した。
脚注
参考文献
- Perry, Guy (2018). The Briennes: The Rise and Fall of a Champenois Dynasty in the Age of the Crusades, c. 950-1356. Cambridge University Press
- Pollock, M.A. (2015). Scotland, England and France after the Loss of Normandy. The Boydell Press