加賀 元(かが げん、1972年8月19日 - )は、岩手県北上市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
来歴
北上市立飯豊中学校を経て盛岡工業高校に進学。小学2年生で野球を始めた時点では中堅手だったが、飯豊中時代に投手に転向した。高校時代は2年秋に県大会準優勝を果たし、東北大会でも2試合連続完投で準決勝へ進出したが敗退。
1990年12月3日、中日ドラゴンズにドラフト外入団することで合意し、仮契約を締結した。契約金は1500万円、1年目となる1991年シーズンの年俸は360万円(いずれも推定金額)で、背番号は60。
1991年4月11日、加賀は近藤真一、中嶋治彦、辻本弘樹、富永章敬、小池貴志とともに支配下選手登録を外されて「準支配下選手」として公示された。同年は一軍(セントラル・リーグ)公式戦では登板機会がなく、二軍(ウエスタン・リーグ)で9試合に登板、うち8試合で先発登板し、投球回41イニング、3勝2敗0セーブ、防御率3.51の成績を残した。
1992年シーズンの年俸は420万円。一軍登板機会がないまま、同年11月27日付で任意引退選手として公示され、同年限りで現役を引退した。
引退後の1993年から2001年まで中日の打撃投手を務めた。
選手としての特徴・人物
プロ入り当初は最高球速140 km/hの速球が武器で、制球力も良いと評されていた。また投球は荒削りながら、「逃げ」の投球にならない点を評価されていた。スカウトからは「フォームに“ため”ができれば、もっと速くなる」と評されており、本人は遠藤一彦のような本格派投手を目標としていた。
高校時代から冬場に10 kmのランニングを欠かさず行っていた。
年度別投手成績
- 一軍公式戦出場なし
詳細情報
背番号
- 60(1991年 - 1992年)
- 124(1996年 - 2000年)
脚注
注釈
出典
関連項目
- 岩手県出身の人物一覧
- 中日ドラゴンズの選手一覧