株式会社鈴木シャッター(すずきシャッター、SUZUKI SHUTTER CO., LTD.)は、東京都豊島区に本社を置くシャッターなどを製造する企業である。

かつては三機工業、LIXILの傘下にあった。2018年(平成30年)7月31日、LIXILが保有する全株式を三和ホールディングスへ売却することを発表。2019年(令和元年)10月より三和ホールディングス傘下となった。

沿革

  • 1903年(明治36年)4月 - 建築金物商会として創業。
  • 1936年(昭和11年)7月 - 株式会社建築金物商会に改組。
  • 1939年(昭和14年)10月 - 鈴木シヤタア工業株式会社に商号変更。
  • 1969年(昭和44年)2月 - 三機工業株式会社と資本提携。
  • 1970年(昭和45年)3月 - 鈴木シヤタア産業株式会社を吸収合併し、鈴木シャッター工業株式会社に商号変更。
  • 1981年(昭和56年)9月 - 埼玉工場竣工。
  • 1985年(昭和60年)3月 - 鈴木シャッター販売株式会社を吸収合併。
  • 1990年(平成2年)11月 - 店頭市場(現・ジャスダック)に株式を公開。資本金19億7,100万円となる。
  • 1993年(平成5年)10月 - 東京都豊島区に本社新社屋を建設。
  • 2000年(平成12年)10月 - トステム(現・LIXILグループ)が株式交換により完全子会社化。
  • 2001年(平成13年)4月 - トステム鈴木シャッター株式会社に商号変更。
  • 2011年(平成23年)4月 - グループ内のスチール建材事業再編に伴い、旧・トステム子会社のトステムSD株式会社を吸収合併し、コスモ工業株式会社の営業権を譲受。同時に株式会社LIXIL鈴木シャッターに商号変更し、株式会社LIXILの子会社となる。
  • 2012年(平成24年)3月 - 当社取扱いの一部の軽量シャッター及び一部の軽量ドアを三和シヤッター工業株式会社からのOEMに切り替え。
  • 2018年(平成30年)7月 - LIXILが保有するLIXIL鈴木シャッター全株式を、三和ホールディングスへ売却することを発表。三和ホールディングスは公正取引委員会の承認後に、LIXIL鈴木シャッター全株式を取得する予定。
  • 2019年(令和元年)10月 - 三和ホールディングスに株式が譲渡され三和グループとなる。商号を株式会社鈴木シャッターに変更。

広告活動

1980年代に「クリスタルグリル」のテレビCMを放送し、2022年(令和4年)頃に公式YouTubeチャンネルで広告活動を行った。

その他

  • 1966年2月、翌年の香港での法人設立を控え、当時の社長が現地出張の際に機内から富士山を撮影した写真が、英国海外航空機空中分解事故の事故原因究明に大きく寄与した(『マッハの恐怖』も参照)。
  • 1981年7月7日に東京12チャンネル(現・テレビ東京)で『直純のピアノふぉる亭』を放送したが、この回は電話帳の広告からCMソングを作詞・作曲する企画が放送された。同番組の司会者、山本直純が職業別電話帳(現在のタウンページ)に掲載された広告から当社を選び、ゲスト出演者の小林亜星とともに楽曲を製作し、非公式CMソング「鈴木シャッター」(作詞・作曲:小林亜星)と「スズキ・シャッター」(作曲:山本直純)のお披露目(ともに女性コーラス3人による斉唱)も行われた。なお、この曲には電話帳広告に記されたキャッチコピー、「防火ひとすじ78年」も歌詞に含まれていた。同企画の映像は2019年5月31日にBSテレビ東京で放送した『武田鉄矢の昭和は輝いていた』で小林がゲスト出演した時に放送している。同番組は2021年5月30日に心不全で死去した小林の追悼企画として同年6月21日に再放送を行った。

脚注

外部リンク

  • 鈴木シャッター

株式会社鈴木シャッター

創業120周年特設ページ 株式会社鈴木シャッター

WEBカタログ 株式会社鈴木シャッター

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