吉田 重氏(よしだ しげうじ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・弓術家。日置流印西派の始祖。
略歴
近江国蒲生郡葛巻村出身。始め葛巻源八郎と称し、日置流(吉田流)弓術を伝えた吉田氏当主・吉田重綱の娘を娶るが、後に重綱と不仲となり、重綱の弟・業茂(左近右衛門・木反)に弓術を学び、婚家の姓を継いで吉田一水軒印西と号した。
重氏の弓術の技術は精妙の域に達し、始め豊臣秀次、次いで結城秀康、松平忠昌に仕え、後にその技術を以って徳川家康、秀忠、家光の3代に拝謁した。 寛永15年3月4日(1638年4月17日)死去。各地に門人が多数おり、これらは印西派と称された。
嫡子・重信も弓術に精通し、寛永4年(1628年)12月16日、大御所徳川秀忠及び将軍家光に拝謁、召されて旗本に列した。重信の弟の三右衛門、重好(平内)もまた技術を継ぎ有名であった。
脚注
参考文献
- 日夏繁高『本朝武芸小伝』大日本武徳会本部、1920年(原著1716年)。NDLJP:927114/40。
- 堀田正敦(編)、1922年12月30日「巻第四百三十一 宇多源氏(佐々木庶流) 吉田」『寛政重脩諸家譜』第3輯、國民圖書。NDLJP:1082714/131。