ブサンダ (Busanda) は、アメリカ合衆国で生産・調教されたサラブレッドの競走馬、および繁殖牝馬。競走馬としてアラバマステークスに優勝したほか、繁殖牝馬としてアメリカ競馬殿堂馬バックパサーの母となった。
経歴
父はアメリカ三冠馬ウォーアドミラル、母は名繁殖牝馬ラトロワンヌの娘である未勝利馬ビジネスライクである。ビジネスライクは祖母ラトロワンヌが瀕死の重傷を負った後に産んだ産駒として知られ、このことは後にブサンダを通して繋がっていく血統の貴重さを物語るための逸話としてよく語られている。
若い頃のブサンダはあまり力を発揮できず、2歳時はセリマステークスでベッドオローゼズの3着に入った程度の成績しか出せなかった。しかし次第に大きな競走で入着するようになり、3歳時になってコーチングクラブアメリカンオークスで3着に入り、その後アラバマステークスで優勝、大一番で初のステークス競走勝ちを手にした。
4歳シーズンはブサンダの絶頂期で、牡馬とも対決しながらニューキャッスルハンデキャップやサバーバンハンデキャップ、サラトガカップなどの競走に優勝した。サラトガカップは翌年も勝って連覇しており、5歳時にはこのほかダイアナハンデキャップにも勝っている。この年で競走馬を引退、馬主であるオグデン・フィップスのもとで繁殖牝馬となった。
引退後
繁殖牝馬として8頭の競走馬を産み、そのうちの4頭がステークス競走勝ちを収めている。
ブサンダの産駒のなかで最も重要なものが、1963年に第6子として生まれたトムフールを父に持つ牡馬バックパサーである。トラヴァーズステークスをはじめに多数の大競走で勝ちを収め、1966年の年度代表馬、後世にはアメリカ競馬殿堂や20世紀のアメリカ名馬100選にも選出された。種牡馬・ブルードメアサイアーとしても成功した同馬を通して、ブサンダの血統は現在も残り続けている。
この他にも、牡馬では1961年生まれのビューパーズ(父ダブルジェイ)がフューチュリティステークスなどに優勝したのちに種牡馬入りしている。種牡馬としてモンマスオークス(当時G1)などに勝ったホンキースターなどを出し、母の父としても未勝利に終わったマイビューパーからマイジュリエット(1976年北米最優秀スプリンター)を出して実績を挙げた。ちなみに、マイビューパーの牝系からはアイリッシュオークス優勝馬ウィノナや、日本のハーツクライやダイヤモンドビコーなどが生まれている。
ブサンダ産駒の繁殖牝馬は3頭おり、それぞれの馬もその牝系から名馬を輩出している。代表格は1966年生まれのナヴザップ(父タタン)で、同馬は1984年にウッドワードステークスなどにG1競走で3勝を挙げたポリッシュネイビーを出している。また、1955年生まれのファイナンス(父ナスルーラ)はブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズ優勝馬のアウトスタンディングリーの祖母となり、1957年生まれのオーククラスター(父ナスルーラ)はサンタアニタダービー優勝馬スプレンディドスプルーチェの祖母となった。牝系は現在も続いている。
評価
主な勝鞍
- 1949年(2歳)
- 3着 - セリマステークス
- 1950年(3歳)
- アラバマステークス
- 2着 - デラウェアオークス
- 3着 - コーチングクラブアメリカンオークス
- 1951年(4歳)
- ニューキャッスルハンデキャップ、サバーバンハンデキャップ、トップフライトハンデキャップ、サラトガカップ
- 3着 - マンハッタンハンデキャップ、デインジャーフィールドハンデキャップ
- 1952年(5歳)
- ダイアナハンデキャップ、サラトガカップ(連覇)
- 2着 - サラトガハンデキャップ
表彰
- 1974年 - アケダクト競馬場に、ブサンダの名を冠した「ブサンダステークス」(グレード外・1月中旬・3歳牝馬限定)が創設される。
牝系図
牝系図の主要な部分(G1競走優勝馬、日本の重賞馬)は以下の通り。*は日本に輸入された馬。
牝系図の出典:galopp-sieger.de
血統表
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ