アーリーロブスト(欧字名:Early Robusto、2006年4月27日 - )は、日本の競走馬。主な勝ち鞍に2009年の京成杯。
馬名の由来は、「速い(early)」+「力強い(伊)」。
経歴
2008年
10月19日、福永祐一を鞍上に京都競馬場でデビューで2着。続く11月8日、未勝利戦も2着に敗れるも、11月30日の未勝利戦は1番人気に応えて初勝利を飾る。12月14日の阪神のエリカ賞は福永に代わって吉田豊にテン乗りとなったが、逃げ切っての勝利となった。
2009年
初戦は1月18日の京成杯。鞍上は再び福永に戻った。2番人気に支持されたが、直線抜け出して重賞初勝利となった。その後、3月8日の弥生賞に出走し3番人気に支持されたがこれまでの先行するスタイルから後方待機に転換し、6着に敗れる。皐月賞は先行したものの16着に惨敗。東京優駿は主戦の福永がセイウンワンダーに騎乗するためダービー初騎乗となる三浦皇成に乗り替わったが、15着から2秒近く離された16着に終った。
その後、「調教では走る」ダート戦のしらかばステークスに出走したが、人気通りの9着に敗れた。交流重賞の白山大賞典では3着に入着したものの「特別ダートが上手いということはないし、あのメンバーであの成績では」(本田優調教師)とダート適性を見限られ、再び芝に戻りスワンステークスに出走。16番人気と低評価だったが、キンシャサノキセキの2着と好走し波乱の立役者となった。続く京阪杯では先団追走も直線で失速し13着に終わった。続く阪神カップでは好位追走も失速し17着と大敗した。
2010年
1月5日の京都金杯から始動、先団でレースを進めたが直線で力尽きて8着に終わった。続く小倉大賞典でも同様の競馬で2戦続けての8着だった。続く大阪城ステークスでは先手を奪って逃げるものの直線で力尽きて12着と殿負けを喫した。休養を挟んで10月30日のスワンステークスは2番手追走も直線で失速し10着、続くキャピタルステークスではスタートからハナを奪い逃げるも直線で力尽きて人気通りの13着と大敗した。12月19日のギャラクシーステークスでは3着と逃げ粘った。
2011年
1月15日の大和ステークスで始動、マイペースの逃げに持ち込んで3着に粘った。すばるステークスでは好スタートを決め先頭に立つとマイペースに持ち込んで逃げ切った。続くつばさ賞では3着と好走した。CBC賞では先団でレースを進めたが直線で力尽きて14着、プロキオンステークスでは2番手追走も直線で失速し16着と大敗した。休養を挟んで11月27日の太秦ステークスに出走、好スタートを決めて先頭に立つと後方から脚を伸ばしたファイナルスコアーの追い込みをしのぎ逃げ切り勝ちを収めた。続くギャラクシーステークスでは2・3番手でレースを進めたが直線で失速し14着と大敗した。
2012年
1月8日のジャニュアリーステークスで始動、好スタートを決めて先頭に立ち逃げたが5着。続くすばるステークスでも同様の競馬で8着に敗れた。2月25日の千葉ステークスでは2着と逃げ粘った。芝に戻り4月8日の春雷ステークスではスタートからハナを奪い逃げるも直線で力尽き14着、4月29日のオアシスステークスは2番手追走も直線で失速し14着と大敗した。続く欅ステークスはスタートからハナを奪い逃げるも直線で一杯になり10着、天保山ステークスでも同様の競馬で11着に終わった。
2013年以降
1月20日に初の障害競走となる障害未勝利に出走したが、2周目3コーナーで前進気勢を欠いたため競走中止。次走は平地に戻り千葉ステークスで15着。2月28日付けでJRAの競走馬登録を抹消され、船橋の川島正行厩舎へ移籍した。移籍から2014年7月まで計14戦を走ったが1勝もできず、ホッカイドウ競馬の田中淳司厩舎へ移籍。ここで3戦を走り、2014年12月10日付けで登録を抹消されている。
引退後
引退後は乗馬となり、2019年時点では埼玉県の東武乗馬クラブ&クレインに繋養されている。
競走成績
血統表
脚注
注釈
出典
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、KEIBA.GO.JP、JBISサーチ、Racing Post