吉川 経忠(きっかわ つねただ)は、江戸時代中期から後期にかけての周防国岩国領8代領主。
生涯
吉川経倫の長男として生まれる。寛政4年(1792年)、父の隠居により家督を相続する。岩国の財政は経忠の襲封以前から悪化していた。経忠は文武教育を奨励し、敬神崇祖の範を示すことによって土風の刷新を図った。その上で財政の健全化を図り、家老の宮庄親徳と香川景晃らを中心に財政改革を推進した。しかし享和3年(1803年)に38歳で、麻疹の合併症のため死去した。
系譜
- 父:吉川経倫(1746-1803)
- 母:高木氏(?-1824) - 梅信院、高木采女の娘
- 正室:悌(1785-1844) - 喬松院、織田信憑次女
- 長女:修子(1800-1802)
- 側室:今田氏(?-1827) - 本寿院、今田純式の娘
- 長男:吉川経賢(1791-1807)
- 次男:吉川経礼(1793-1837) - 吉川経賢の養子
- 三男:吉川経章(1794-1844) - 吉川経礼の養子
- 側室:森脇氏 - 森脇祐祥の娘
- 四男:吉川礼成(1797-1814)