渡辺 友水(わたなべ ゆうすい)は江戸時代後期の佐渡奉行所地役人。武術・俳諧に通じた。
概要
寛政4年(1792年)6月4日生まれ。相川板町に住み、金蔵役、地方掛、小木定番役次席、金蔵定番役を歴任し、江戸には2度赴任した。
剣術・槍術に秀で、水替掛在任中水替人足が脱走を企てると、山口番所に急行し、飾り槍を振り回して「佑左衛門ここにあり。汝ら、我が槍を食らってみよ。」と叫び、鎮圧した。田付流砲術にも通じ、砲術操練の時には隊長を務めて中砲車台を提げ、数町に響き渡る大声で部下に号令し、これを見た奉行篠山景徳により屯所定番役を命じられた。70代には心働流剣術を試みた。
安田花狂には俳諧を学び、公務の傍ら1日に1句を詠んで「塵の山」と題し、嘉永5年(1852年)冬仮名詩と併せて「初心手引草」を編纂した。
元治元年(1864年)6月16日73歳で死去し、相川総源寺に葬られた。
親族
先祖は甲斐国武田氏家臣で、佐渡金山開発とともに佐渡国に渡った。
- 父:渡辺七郎右衛門 - 文政8年(1825年)没。
- 子:渡辺盧舟(文化11年(1828年)5月3日 - 安政元年(1854年)10月24日)
- 通称は舎人、名は鎮、別号は自来舎佳友。最終職階は山方役助。鷲尾甚助に無念流剣術、安田花狂に俳諧を学んだ。天保9年(1838年)一揆鎮圧のため島内を巡察し、『俳諧風車』を編集した。
- 孫:渡辺碇浦 - 名は潜。明治16年(1883年)没。
- 孫:渡辺漁村 - 新潟中学校教師。盧舟没後、祖父友水に養育された。
- 娘:沖津 - 小木港関吏吉田久次郎相有妻。父に俳諧を学んだ。
脚注
参考文献
- 萩野由之『佐渡人物志』佐渡郡教育会、1927年10月。 NDLJP:1188906/121
- 小林智明「笠原軔の父 渡辺漁村のこと」『佐渡郷土文化』第45号、佐渡郷土文化の会、1985年1月。