台北市の道路(タイペイ/たいほくしのどうろ)では、中華民国(台湾)台北市の道路について説明する。

市街地の主要道路網

高速公路・快速公路

  • 国道高速公路
    • 国道1号(中山高速公路)・汐止五股高架道路
    • 国道3号(フォルモサ高速公路)
  • 国道快速公路
    • 国道3号甲線
  • 快速道路(都市高速道路)
    1. 環東系統
      • 信義快速道路・堤頂大道・環東大道・基隆路高架道路
    2. 環西系統
      • 洲美快速道路・環河快速道路・水源快速道路
    3. 市区(市街地)内系統
      • 新生高架道路(南北方向)・建国高架道路(南北方向)・市民大道(東西方向)

台湾省道

  • 台1線:起点(行政院前)- 忠孝西路 - 忠孝橋 -(新北市三重区)
  • 台1甲線:起点(行政院前)- 中山北路一段 - 民権西路 - 台北大橋 -(新北市三重区)
  • 台2甲線:(新北市金山区)- 陽金公路 - 竹子湖路 - 陽明路 - 格致路 - 仰徳大道 - 福林路 - 中山北路五~二段 -(終点)
  • 台2乙線:重慶北路三~四段 - 百齢橋 - 中正路 - 承徳路五~七段 - 大度路 -(新北市淡水区)
  • 台3線:起点(行政院前) - 忠孝西路一段 - 中華路一~二段 - 和平西路二~三段 - 華江橋 -(新北市板橋区)
  • 台5線:起点(行政院前)- 忠孝東路一~七段 - 研究院路一段 - 南港路一段 -(新北市汐止区)
  • 台9線:起点(行政院前)- 中山南路 - 羅斯福路一~六段 - 景美橋 -(新北市新店区)

市道

  • 市道106号:(新北市新店区)- 景美橋 - 木柵路一段~二段 - 秀明路一段 - 木柵路四段~五段 -(新北市深坑区)

道路名

「台北市道路牌・門牌編釘弁法」第3条の規定に基づき、幅15メートル以上の道路は「路」、幅8メートル以上15メートル未満の道路は「街」、幅8メートル未満または全長500メートル未満の道路は「巷」と呼ばれる。また、幅25メートル以上の道路の一部は「大道」と呼ばれる。

1968年(民国57年)の市域拡大以前から台北市内だった地域の道路は、ほとんどが中国大陸の地名、歴史人物、古文の用語にちなんで命名されている。1968年に台北市に編入された地域である北投・士林・内湖・南港・文山の道路名は、旧市域での命名ルールに準拠していない。

方角の境界

台北市街地の道路名の東西は羅斯福路・中山南路・中山北路を基準とし、これ以西は「○○西路」、以東は「○○東路」と呼ばれる。南北は忠孝西路・忠孝東路一~二段・八徳路を基準とし、これ以南は「○○南路」、以北は「○○北路」と呼ばれる。ただし、基隆路や市民大道などの例外も一部存在する。

ローマ字表記

当初、台北市の道路のローマ字表記には、外国の固有名詞に由来する名称(羅斯福路など)を除いてはウェード式が使用されていた。1998年(民国87年)、台北市長の陳水扁は市内の道路名のローマ字表記を通用拼音に変更させた。ただし、基隆路(Keelung Rd.)や金門街(Kinmen St.)のように既に国際的に広く認知されている表記を採用しているもの、艋舺大道(Bangka Blvd.)のように原住民の言語のローマ字表記を採用しているもの、西蔵路(Tibet Rd.)や市民大道(Civic Blvd.)などのように英語表記を採用しているものも存在する。同年に陳水扁の後任として馬英九が市長に就任すると、道路名や駅名のローマ字表記に漢語拼音を使用することが決定された。このように表記方法が複数回変更されているため、現在の台北市では標識に複数のローマ字表記が混在する状態となっている。

道路名の沿革

日本統治時代、台北市のほとんどの道路には名前が付けられておらず、清朝時代の道路名に由来する「○○街」という小字が存在するに留まっていた。1926年(昭和2年)に市中心部の大字・小字は廃止され、新たに町が設置された。これにより、例えば表町を通る大通りは「表町通」と言うように、市内の主要道路に「○○町通」という俗称が誕生していった。また、台湾神社(後の台湾神宮)への参道として整備された道路(現:中山北路)は「勅使街道」と命名された。

台湾光復後の1945年(民国34年)11月17日、台湾省行政長官公署は「台湾省各県市街道名称改正弁法」を公布し、台湾省における日本風な地名・道路名を排除し、「中華民族の精神を発揚するもの」「三民主義を宣伝するもの」「国家の偉人を記念するもの」「地域の地理・習慣に適合するもの」のいずれかに変更するよう指示した。これを受けて台北市政府は1946年(民国35年)6月に市内の道路名の改正を実施し、清朝時代の多くの道路名が復活した。

1947年(民国36年)1月、台湾省行政長官公署は再び台北市内の道路名の大規模改正を行った。今回の改正では、台北市の市域を中国大陸に見立て、中山南北路と中正東西路の交点(現:台湾公路原点)を基準点として北方の道路には大陸北部の地名(長春街・北平街など)、南方の道路には大陸南部の地名(広州街・福州街など)、東方の道路には大陸東部の地名(徐州路・済南街など)、西方の道路には大陸西部の地名(成都街・迪化街など)が割り当てられた。

1947年以降、台北市全体の道路名が再び大きく変更されたことはなかったが、都市開発の進展に伴って新たな道路が続々と開通した。これらの新しい道路の命名方法は、引き続き中国大陸の地名を用いたもの(西蔵路・敦化南路・敦化北路など)、記念的なもの(辛亥路・光復南路・光復北路など)、道路の所在地の地名から取ったもの(大安路など)など、様々であった。

再開発などの理由による改称や道路自体の廃止のために、道路名が消滅したという例も存在する。

台北市内の街路一覧

以下では、台北市内の街路を名称の由来ごとに列挙する。

中国大陸の地名

備考の「首都」「省政府所在地」などの情報は、1947年時点での物である。

院轄市

東北地区

塞北地区

華北地区

華中地区

華南地区

西部地区

人名

歴史上の事物

  • 凱達格蘭大道:凱達格蘭族(かつて台北近辺に居住していた原住民)
  • 辛亥路:辛亥革命
  • 光復南北路:台湾光復
  • 一江街:一江山島戦役(1955年に発生した国共間の戦闘)
  • 万大路:万大計画(万華・大竜峒の旧市街における再開発計画)
  • 昆陽街:昆陽演習(1957年に国軍が実施した大規模演習。23年に勃発した新と緑林軍の戦闘「昆陽の戦い」から取られた)
  • 莒光路:「毋忘在(莒にいたことを忘れるな)」「復大陸(大陸を光復せよ)」(蔣介石が用いたスローガン)

古文・思想訓示

縁起の良い言葉

道路の所在地名

沿道の施設

脚注

注釈

出典

関連項目

  • 台北の歴史

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