那須 資藤(なす すけふじ)は、南北朝時代の武将。那須氏9代当主。
8代当主・那須資忠(太郎・太郎左衛門・安芸守・金江英秋月桂院)の子として誕生。南北朝の騒乱の際には北朝に味方した。
正平4年/貞和5年(1349年)からの観応の擾乱では足利尊氏方につき転戦したが、正平10年/文和4年(1355年)、足利直冬との戦いで弟・蘆野資方(蘆野氏の祖)らと共に戦死した。
家督は子・資世(安王丸・太郎・越後守)が継いだ。資藤の子から金丸氏、金枝氏、小滝氏などの支流が分かれている。
脚注
出典
- 『源威集』(下 羽後)
- 『太平記』(三十三 京軍事)
- 『寛政重修諸家譜』(七百三十五 藤原長家流 那須)