野村 高義(のむら たかよし、1918年10月7日 - 没年不明)は、愛知県出身のプロ野球選手(外野手)。
来歴・人物
享栄商業では四番を打ち、1936年・1937年と二年連続で春の甲子園に出場するが、いずれも一回戦で敗退した。
1938年に花の13年組の一人として、川上哲治・千葉茂・吉原正喜らとともに東京巨人軍へ入団する。しかし、当時の巨人の外野は伊藤健太郎・呉波・中島治康らで層が厚かったことから出場機会に恵まれず、21試合の出場でわずか1安打に終わった。
1939年に金鯱軍に移籍すると、開幕当初は捕手を務めるが、5月に入ると三番左翼手のレギュラーに定着する。シーズンでは打率.241を打って打撃成績29位に入り、チームトップの34打点を記録した。1940年は開幕当初はクリーンナップを任されるも低打率に苦しみ、4月半ばにライオン軍にトレードされる。ライオンでは三番右翼手のレギュラーとなるものの調子が上がらず、6月以降は井筒研一・村上重夫に定位置を奪われがちになり、シーズンを通じて打率.161に終わった。1941年は投手にコンバートされ12試合に先発するがわずか1勝(9敗)に留まり、同年末に退団した。
戦後の1947年に国民野球連盟が発足すると、宇高レッドソックス(熊谷レッドソックス)でプレーしている。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別投手成績
背番号
- 28 (1938年)
参考文献
- 『報知グラフ 別冊 巨人軍栄光の40年』報知新聞社、1974年
脚注
関連項目
- 愛知県出身の人物一覧
- 読売ジャイアンツの選手一覧
- 松竹ロビンスの選手一覧