池田 久之(いけだ ひさゆき、1921年8月9日 - 1944年)は、長崎県出身のプロ野球選手(捕手)。
来歴・人物
長崎商業学校(現・長崎市立長崎商業高等学校)を経て、1939年3月10日に阪急軍に入団。
入団年の1939年~1941年までは日比野武や井野川利春(選手兼任監督でもあった)の控え捕手に甘んじたが、井野川が監督業にウェイトを置き、日比野が戦争に出征した1942年に捕手のレギュラーを獲得。1943年までに捕手として142試合に出場した。その間、捕手としてノーヒットノーランに2回(達成投手は石田光彦〈1940年8月22日、ライオン戦。但し先発の井野川からの交代で途中出場。〉,天保義夫〈1943年5月2日、南海戦。〉)立ち会っており、「71試合に1回の割合」でノーヒットノーランに立ち会うという幸運に恵まれた。
1943年10月4日の朝日戦を最後の出場として、応召。翌1944年、戦死した(正確な没年日時・死没場所は不明)。数え24歳没。東京ドーム敷地内にある、鎮魂の碑には彼の名が刻まれている。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 8 (1939年 - 1943年)
脚注
関連項目
- 長崎県出身の人物一覧
- オリックス・バファローズの選手一覧
外部リンク
- 個人年度別成績 池田久之 - NPB.jp 日本野球機構