野々山 頼兼(ののやま よりかね)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。
略歴
三河国の出身。幼少の頃は徳川家康に仕え、後にその子・秀忠に仕える。入洛および関ヶ原の戦いに供奉したのち、腰物奉行となった。
慶長3年(1598年)には武蔵国都筑郡茅ヶ崎村(現神奈川県茅ヶ崎市)に230石の領地を与えられ、慶長7年(1602年)には、上野国勢多郡武士村(現群馬県伊勢崎市)に300石加増された。
慶長9年(1604年)7月22日、死去。享年33。養子・兼綱が後を継いだ。
脚注
出典
- 『寛政重修諸家譜』巻第百十