摩文仁御殿(まぶにうどぅん)は、尚質王の次男・尚弘毅、大里王子朝亮(1647年4月9日(順治4年3月5日) - 1687年1月26日(康煕25年12月13日))を元祖とする琉球王族。第二尚氏の分家で、王国末期に摩文仁間切(現・糸満市摩文仁地区)の按司地頭を務めた琉球王国の大名。
一世・朝亮は尚貞王の摂政を務めた。八世・朝健は総理官となり、マシュー・ペリーの首里城訪問の際には応対している。十世・朝位の時、廃藩置県を迎えた。一世・朝亮が尚貞王より拝領した「摩文仁家の墓」(南風原町)は、沖縄県の指定文化財になっている。
系譜
- 一世・大里王子朝亮
- 二世・大里王子朝彝
- 三世・新里按司朝隆
- 四世・大里按司朝頼
- 五世・大里按司朝卿
- 六世・大里按司朝宜
- 七世・摩文仁按司朝祥
- 八世・摩文仁按司朝健
- 九世・石原按司朝藩
- 十世・摩文仁按司朝位
- 十一世・摩文仁朝信
参考文献
- 沖縄県氏姓家系大辞典 編纂委員会『沖縄県氏姓家系大辞典』角川書店、1992年(平成4年)。ISBN 978-4040024707。
- 宮里朝光(監修)、那覇出版社(編集)『沖縄門中大事典』那覇出版社、1998年(平成10年)。ISBN 978-4890951017。
- 比嘉朝進『士族門中家譜』球陽出版、2005年(平成17年)。ISBN 978-4990245702。
関連項目
- 按司
- 御殿 (沖縄)
外部リンク
- 貴方も知らない沖縄の家紋>ま行