小林 弘記(こばやし ひろき、1977年5月24日 - )は、静岡県静岡市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。妻は元タレントの木下優。
来歴
1993年、清水商業高校に進学。先輩のGK川口能活に叱咤されながらも力を伸ばし、1995年には同期の大石玲、谷池洋平、西川周吾、早川知伸、藤元大輔、松原忠明らと共に高円宮杯3連覇に貢献した。
恵まれた体格と跳躍力から複数クラブのオファーを受けたが、コーチ陣の充実を理由に1996年よりジュビロ磐田に加入。磐田では大神友明が正GKとして定着しており、大神が負傷離脱した1999年以後も出場機会を得られなかったことから、2000年シーズン途中にヴェルディ川崎への期限付き移籍を経て、コンサドーレ札幌へと完全移籍。同年11月5日のJ2第41節サガン鳥栖対札幌においてJリーグ初出場を果たすも、正GK佐藤洋平の壁は厚く、2001年限りで退団。
2002年2月末にFC東京へ移籍。同年の選手編成は1月に発表されていたが、2月になって小澤英明が負傷し、小林の獲得はその穴埋めを図るためのものだった。土肥洋一のバックアッパーとしてベンチ入りを続けていたが、シーズン終盤に小澤が復調したことでベンチからも外れ、1年限りで退団した。
2003年、湘南ベルマーレへ移籍。若手選手を支えるリーダーシップを発揮し、気迫のこもった好セーブで正GKの座を掴んだ。
2007年よりロッソ熊本(2008年よりロアッソ熊本)へ移籍。同年のJFLでは全試合フル出場で奮闘し、2008年からのチームのJリーグ参入(J2昇格)に貢献した。2009年限りで現役を引退。
2010年よりロアッソ熊本のアカデミースタッフ兼アンバサダーに就任し地域に根ざした様々な活動を行なっている。2013年現在の所属部署は営業部。一方、DJ Kova(コヴァ)としてスタジアムDJも務めている。また、チームマスコットであるロアッソくんとは、BAZOOKA BROTHERS(バズーカブラザーズ)という名でタッグを結成中である。
2011年5月22日、八代市鏡町「ふる郷(さと) 愛鏡祭」にて開催された畳投げ大会にて、一般男性にエントリー。12メートル43を記録し大会新記録 で優勝した。
現役引退後激太りしてしまい、2015年には体重が130kgにまで達してしまったことから、県総合保健センター等の協力を受けてダイエットを開始。半年間のダイエットで30kgの減量に成功した。しかしその後リバウンドしており、2017年現在は123kg程度となっている。
2017年末でロアッソ熊本を退職、それに伴いスタジアムDJからも降板する。退職後はサッカー界から離れる方針。
所属クラブ
- ユース経歴
- 服織サッカースポーツ少年団 (静岡市立服織小学校)
- 静岡市立服織中学校
- 1993年 - 1995年 静岡市立清水商業高等学校
- プロ経歴
- 1996年 - 2000年6月 ジュビロ磐田
- 2000年4月 - 同年6月 ヴェルディ川崎 (期限付き移籍)
- 2000年6月 - 2001年 コンサドーレ札幌
- 2002年 FC東京
- 2003年 - 2006年 湘南ベルマーレ
- 2007年 - 2009年 ロッソ熊本 / ロアッソ熊本
個人成績
代表歴
- 1993年 U-19日本代表候補
- 1995年 U-18日本代表
- 1996年 U-19日本代表
- 第30回 アジアユース選手権予選、アジアユース選手権
- 1997年 U-20日本代表
指導者経歴
- 2010年 - ロアッソ熊本アカデミースタッフ兼アンバサダー
関連情報
出演
- 2011年 - 百年旅行 Jリーグのある風景 #69「J1昇格へ向けて -ロアッソ熊本を支える仕掛け人たち-」 (BS日テレ)
脚注
関連項目
- ジュビロ磐田の選手一覧
- 東京ヴェルディ1969の選手一覧
- 北海道コンサドーレ札幌の選手一覧
- FC東京の選手一覧
- 湘南ベルマーレの選手一覧
- ロアッソ熊本の選手一覧
外部リンク
- 小林弘記 - Soccerway.com (英語)
- 小林弘記 - WorldFootball.net (英語)
- 小林弘記 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- 小林弘記 - J.League Data Siteによる選手データ
- プロフィール - Jリーグ選手OB会
- プロフィール (2002年版) - ウェイバックマシン(2002年12月3日アーカイブ分) - FC東京
- プロフィール (2006年版) - ウェイバックマシン(2006年6月18日アーカイブ分) - 湘南ベルマーレ
- プロフィール (2009年版) - ウェイバックマシン(2009年2月22日アーカイブ分) - ロアッソ熊本