ブレイクダウン(BREAKDOWN)は、1976年から1986年まで活動した日本のブルース・バンド。
概要
1972年に結成された「ブルースハウスブルースバンド」が母体。服田洋一郎と同じ同志社大学の西村入道(西村昭信)、初代ベースマン吉沢悦郎の3人で活動を開始。その後、ビッグバンドで演っていた小川俊英が加入。後に吉沢が抜ける時、ウエスト・ロード・ブルース・バンドの永井隆がマガジンNo1/2で活動していた森田恭一を服田に紹介、ブレイクダウンの原型が出来る。
2年程の活動後、ブルースハウスは解散、暫く渡米していた服田が帰国し森田、小川と3人で新たな活動を模索、服田、森田の誘いで名古屋の近藤房之助がバンドに加わり、1976年3月京都拾得のマンデーライブから活動が開始された。このメンバーで1982年12月27日の拾得まで7年間活動した。
1982年、小川が家業を継ぐ為、郷里福山に帰郷する事となり、急遽、ドラム探しが始まった。ブレイクダウン所属のレコード会社の働き掛けにより、吾妻光良 & The Swinging Boppersのメンバーで、後にBO GUMBOSのメンバーとなる岡地明(後に岡地曙裕と改名)が加入、1983年4月、新生ブレイクダウンとして東京に拠点を移して活動を開始した。
1986年末、オーティス・ラッシュとの全国ツアーを最後に解散するまで日本中を周り年間100本以上のライブを行った(結成10周年の記念ライブは京都磔磔で行われた)。
メンバー
ディスコグラフィー
アルバム
- 1980年 『LIVE』 (Vivid Sound)
- 1981年 『I've Been A Good Thing For You』 (Vivid Sound)
- 1984年 『Alive』 (Dead Ball)
- 1985年 『4』 (Dead Ball)
映像作品(DVD)
- 2004年 『139th nervous breakdown』(磔磔)
動画
- 1983年10月8日原宿クロコダイル
- 1983年7月9日法政大学オールナイトロックフェス
- 1983年7月9日法政大学オールナイトロックフェス2
アルバムから
- 1980年1stアルバム『Night life』
- 1981年2ndアルバム『I've been a good thing for you.』
- 1983年3rdアルバム『I don't care where I get my lovin'』
- 1984年4thアルバム『Tear Drops』
外部リンク
- 服田洋一郎 - ウェイバックマシン(2004年10月11日アーカイブ分)
- 近藤房之助
- 活動記録