山田 泰寛(やまだ やすひろ、1968年2月13日 - 2013年4月8日)は、広島県広島市南区出身のサッカー選手、サッカー指導者、常葉大学サッカー部監督。
来歴
広島市の少年サッカークラブ・大河FCから、静岡県の東海大学第一高校(現・東海大学付属翔洋高校)へ進学。
1986年に早稲田大学に進学し、同大学ア式蹴球部に入部。同年に日本ユース代表に選出され、AFCユース選手権1次予選に出場した。1990年にJSL1部のヤンマーに入団するも、Jリーグ創設に伴い発足した清水エスパルスへ移籍し、左サイドバックとしてプレー。オーバーラップを武器として、1992年から1995年までの間にJリーグ通算31試合に出場した。
引退後、清水スタッフとなり、1996年から1997年まで、清水ジュニアユースのコーチを務めた。
2000年、富士常葉大学開学の際にサッカー部総監督に就任した長谷川健太の元で、同大のサッカー部監督に就任。大学でも非常勤講師として授業を受け持っていた。
2013年、肝臓がんにより死去。
所属クラブ
- 東海大学第一高校
- 早稲田大学
- ヤンマー
- 清水エスパルス
個人成績
脚注
関連項目
- 清水エスパルスの選手一覧
外部リンク
- 山田泰寛 - FootballDatabase.eu (英語)
- 山田泰寛 - WorldFootball.net (英語)
- 山田泰寛 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- 山田泰寛 - J.League Data Siteによる選手データ
- 元清水DF山田泰寛氏が急死 - サッカーニュース : nikkansports.com