嘯月庵 雲僲(しょうげつあん うんせん) / 渡辺 雲僲(わたなべ うんせん、1892年(明治25年) - 1972年(昭和47年)9月9日、本名:渡辺 俊彦)は、日本画家。
経歴
広島県安芸郡矢野村(現・広島市安芸区矢野)で、造り酒屋の次男として生まれた。11歳の時に広島の里見雲嶺に学ぶ。初号は啓迪(けいてき)。後に京都の鈴木松年に学び、嘯月庵雲僲(しょうげつあん うんせん)に改める。深く禅宗に参禅し、僧籍をもつ。25歳の時に大分県の中津に移り住む。30歳の時に耶馬渓に「雲僲窟」と名づけた庵を建て、生涯をかけて耶馬溪を描き続けた。作品に「深耶馬渓錦豊」「羅漢寺白光」(大分市美術館所蔵)や「金鱗玉藻」(広島県立美術館所蔵)、600枚もの「耶馬探勝図」等がある。1972年、中津の自宅で死去した。
出典・脚注
外部リンク
- 嘯月庵雲僊 - ウェイバックマシン(2013年8月1日アーカイブ分) - 孫が作成している紹介ページ
- 矢野出身の日本画家 渡辺雲僲 - 広島市文化財団