賀島 政重(かしま まさしげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。阿波徳島藩家老賀島家3代当主。父は蜂須賀家家老・賀島政慶。母は稲田植元の娘。正室は山崎正冬の娘。子は賀島重玄、賀島冬知、林貞恒。幼名は長熊。通称は細山長門、河内、越後、主水。
生涯
慶長3年(1598年)、細山政慶(賀島政慶)の子として阿波富岡城に生まれる。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの際には大坂城で証人(人質)を務めた。慶長19年(1614年)、大坂冬の陣、慶長20年(1615年)、大坂夏の陣に出陣する。
元和2年(1616年)、賀島に復姓する。元和5年(1619年)福島正則改易の際に、父と共に広島城受け取りの御先手を務める。寛永4年(1627年)、父の死去により家督相続し、蜂須賀家家老を務めた。
寛永15年(1638年)、江戸幕府の一国一城令により富岡城を破却する。正保4年(1647年)、蜂須賀家が田安門普請を命じられ、その監督を務める。その際に普請視察の将軍徳川家光に拝謁する。万治3年(1660年)11月1日、死去。享年63。家督は嫡男の重玄が相続した。
系譜
- 父:賀島政慶
- 母:稲田植元の娘
- 正室:山崎正冬の娘
- 息子:賀島重玄
- 息子:賀島冬知
- 息子:林貞恒
関連項目
- 牛岐城
参考文献
- 東京大学史料編纂所「賀島系図」