矢野目 孫一(やのめ まごいち、1870年6月9日(明治3年5月11日) - 1961年(昭和36年)1月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
大分県出身。矢野目小四郎の長男として生まれる。1891年(明治24年)7月30日、陸軍士官学校(2期)を卒業。翌年3月21日、工兵少尉に任官し、工兵第一大隊付となる。1894年(明治27年)10月7日、工兵中尉に昇進し、1896年(明治29年)11月28日、陸軍砲工学校高等科(4期)を優等で卒業。1897年(明治30年)10月25日工兵大尉に昇進し、1900年(明治33年)12月20日、陸軍大学校(14期)を卒業。1902年(明治35年)2月18日、第12師団参謀に就任。
1903年(明治36年)5月1日工兵少佐に昇進し、日露戦争に第4軍参謀として出征。1905年(明治38年)6月22日工兵中佐に昇進し、1908年(明治41年)12月、参謀本部要塞課長に就任。1910年(明治43年)11月30日工兵大佐に昇進し、1912年(明治45年)1月15日、海軍軍令部参謀兼補となる。1912年(大正元年)9月、工兵第14大隊長となり、1913年(大正2年)8月22日、第7師団参謀長に異動。
1916年(大正5年)1月21日、陸軍少将に進級し陸地測量部長に就任。1919年(大正8年)7月25日、陸軍中将に進み、東京湾要塞司令官に就任。1920年(大正9年)8月に待命、同年12月、予備役に編入された。
栄典
- 位階
- 1892年(明治25年)7月6日 - 正八位
- 1894年(明治27年)11月27日 - 従七位
- 1897年(明治30年)12月15日 - 正七位
- 1903年(明治36年)3月20日 - 従六位
- 1905年(明治38年)8月3日 - 正六位
- 1910年(明治43年)9月20日 - 従五位
- 1915年(大正4年)10月11日 - 正五位
- 1919年(大正8年)9月10日 - 従四位
- 1920年(大正9年)12月28日 - 正四位
- 勲章等
- 1895年(明治28年)
- 10月12日 - 功五級金鵄勲章・勲六等瑞宝章
- 11月18日 - 明治二十七八年従軍記章
- 1902年(明治35年)11月29日 - 勲五等瑞宝章
- 1906年(明治39年)4月1日 - 功三級金鵄勲章・勲四等旭日小綬章、明治三十七八年従軍記章
- 1914年(大正3年)5月16日 - 勲三等瑞宝章
- 1920年(大正9年)11月1日 - 勲二等瑞宝章、大正三年乃至九年戦役従軍記章
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章
親族
- 長男 矢野目源一(詩人、作家、翻訳家)
- 妹 吉岡タズ(吉岡顕作陸軍中将の妻)
脚注
参考文献
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。