浅野 長賢(あさの ながかた)は、江戸時代中期の大名。通称は民部、大膳。安芸国広島新田藩初代藩主。官位は従五位下・兵部少輔、宮内少輔。

略歴

広島藩主浅野綱長の三男として誕生。幼名は万吉、

宝永7年(1710年)9月18日、6代将軍徳川家宣に拝謁し、松平姓を名乗ることを許される。同年12月18日、従五位下・兵部少輔に任官する。後に宮内少輔に改める。享保15年(1730年)5月11日、兄で広島藩主の吉長から3万石を分与されて、支藩である広島新田藩を立藩した。

延享元年(1744年)9月25日、52歳で死去し、跡を長男の長喬が継いだ。法号は大通院。墓所は東京都品川区北品川の東海寺。

系譜

  • 父:浅野綱長(1659-1708)
  • 母:不詳
  • 室:不詳
    • 長男:浅野長喬(1732-1770)
    • 男子:三好房高 - 三好義継の妹の子生勝に始まる広島藩三好家7代
    • 女子:能姫 - 養寿院、浅野吉長の養女、小笠原忠総正室
    • 女子:瑞仙院 - 毛利広寛正室

浅野長勲|近代日本人の肖像 国立国会図書館

【浅野長晟誕生】1586年1月28日|Mitsuo Yoshida|note

戦国大名系図 尾張浅野家|MNKニュース by 名字(苗字)・名前・家系図/家紋+神社・お寺 専門No.1ニュースサイト!!

代購代標第一品牌-樂淘letao-浅野長勲『書』マクリ〔真作の紙本版摺工藝〕/安芸広島新田藩第6代藩主 広島藩第12代の藩主 浅野家27代当主 大名

広島藩(芸州藩)/浅野家42万6千石:浅野長訓 軍を京都に送るも鳥羽・伏見の戦いには参戦しなかった広島藩【幕末維新写真館】 日本の歴史