古賀 良彦(こが よしひこ、1901年7月24日 - 1967年6月29日)は、日本の医学者、教育者。
経歴
1901年(明治34年)、福岡県朝倉郡大福村(現・朝倉市)に生まれる。福岡県立朝倉中学校には、実家(乳業家)の手伝いとして牛乳配達を続けながら通い、熊本市にあった第五高等学校、さらに九州帝国大学に進学した。1927年(昭和2年)に同大医学部を卒業。内科教室に入局後に医療分野における放射線研究を始め、博士号を取得。東北大学に異動した。
東北大学でも放射線研究を続け、1936年(昭和11年)には同大電気工学科教授の抜山平一と共同で、心臓の鼓動に合わせてX線撮影(単純X線撮影)を行う技術を開発。さらに1943年(昭和18年)には胸部X線間接撮影法を開発(同年ブラジルのde Abreuも独立して開発)、第1回技術院賞を受賞した。胸部X線撮影は普及に時間はかかったものの、第二次世界大戦後、集団検診に利用されて結核患者の早期発見に大きく貢献した。
1964年(昭和39年)、久留米大学の強い要請を受け、第4代学長に就任。1967年(昭和42年)に死去後、従三位勲二等瑞宝章が贈られた。
家族
- 古賀佑彦 - 古賀良彦の次男。父親と同じく放射線医の道を歩んだ。
著作
- 『放射線医学』高橋信次との共著 南山堂 1965年
- 『放射線診断学』入江英雄との共編 南山堂 1967年